94.8:22 見知らぬ女性の一言に衝撃を受けた村上隆展
7月も後半。
京都市では祇園祭の前祭山鉾巡行が今日行われる。
夏ですね。
夏と言えばの読書だが、私の7月の読書リストも後半に差し掛かっている。
あと2冊を残すのみ。
(詳細は以前のnoteにて)
そろそろ8月の読書リスト作りに本腰を入れないと。
先週、京都市京セラ美術館で開催中の「村上隆 もののけ 京都」を見に行った。
他の企画展を見に行った際に、既に目を奪われた中央ホールや庭園のオブジェたち。
やっと個展の全貌を見ることになった。
行ったのが平日だったためだが、予想より混雑しておらず、じっくりと見ることが叶った。
さて作品であるが、そのユニークさや面白さはさることながら、大きさに圧倒されるものも多かった。
気に入った作品は、一室全てを占める四神図だった。
その他、7月1日から追加された《村上隆版 祇園祭礼図》も見られたので、満足の内容だった。
報道で、あのジャスティン・ビーバーとヘイリー・ビーバーが訪れたことは知っていたが、やはり外国の方が多く、村上隆氏の海外人気を肌で感じた。
満足の内容だったと書いたが、そのすべてが気に入ったかというと嘘になる。
それはどの展覧会に行っても言えることだ。
しかし、全体として見終わった時の心の満足度が高かったということである。
そんな私の気持ちを代弁してくれる方がいた。
鑑賞のスピードが同じくらいの、恐らく一人で来場した高齢の女性がいた。
静かに一つ一つの作品を、写真を撮るでもなくじっくり見ていた。
その女性がある作品を凝視した後、一言つぶやいた。
「さっぱり分からんわー。」
と。
衝撃であった。
私の心の声が漏れてしまったのかと思った。
なぜなら私もその作品はぴんと来なかったからだ。
いや、その女性は村上隆の作品自体が良く分からなかったのかもしれない。
そうでないことを願うが。
その後もその女性は熱心に鑑賞していた。
心に留まる作品は果たしてあったのだろうか。
あればいいな。
鑑賞するものにとって、結局アートは自分の心に響くかどうかだと思う。
あの高齢女性にとっては、(もしかすると)村上隆のアートは響かなかったかもしれない。
それでも、入場料を払って見てみようという意欲が素晴らしいと感じた。
自分には興味が持てなくても、話題になっているからとミーハーな気持ちからでも新しい世界に挑戦しようとする姿勢が良いではないか。
そして、その結果全く分からなかったとしても、そういうアートがある事を知っただけで自分の世界が広がるのだ。
私は自分の興味のある展覧会や美術館にしか足を運んでこなかったことを反省した。
興味が持てなくても、自分の世界を広げるためにはどんどん新しいアートを見る機会を増やしたいと思えた。
そこでがっかりすることになったとしても、決してそれは無駄にはならないから。