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86.12:26 虫と雑草と心の余裕と

雨の日曜日。
なぜ日本でも日曜日が休日なんだろう。
安息日は関係ないよなあ。
そう思ってスマホで検索。
どうやら明治時代に七曜が導入され、且つ神武天皇の即位日が日曜だった為に、休日となったそう。
想像と違っていてびっくり。
知らないことの多いこと多いこと。


虫嫌いな方が比較的多いように見受けられる。
わたしは嫌いではない。
いても構わないくらいには好きだと言える。
田舎に生まれたから、物心ついた頃から昆虫も害虫も身近だった。
流石に害虫は好んではいないが。
虫取りや虫の飼育、子ども特有の残酷な遊び方まで、虫にはお世話になった。

現在は比較的都会に住んでいる。
虫は嫌いではない。
それは変わっていない。
ただ、室内に虫がいるとどうも気になる。
いても構わないと思っていた虫が、何故か鬱陶しい。
早々に駆除してしまう。
さらに虫除けまで導入している。
しかし、たまに田舎に帰ると、相変わらず気にならない。
もう虫と遊んだりはしないのだが、蜂や蝶が飛んでいるのを見るのが好きだ。

この違いは一体なぜ生まれるのだろう。
なぜ都会の虫は気に食わないのか。

どうも都会の虫は清潔さに欠けるのだ。
いやいや虫は虫。
清潔も何もない。
そう言われそうだが。

よく考えると、雑草も同じように感じる。
田舎の雑草は触れるけれど、都会の雑草はなんだか不気味で触れない。
どことなく穢れを感じる。

田舎でいる時、私の心に隙間ができている感覚がある。
様々なものを受け入れる余裕がある。
一方都会にいると、心は自分を守るのに精一杯で余裕がない。
その違いだろうか。
うまく言語化できないのがもどかしい。


自分には田舎があっていると薄々気付いている。
心の余裕が取り戻せるのだから。
どうしてわたしはここに居るんだろう。
そんなことを最近考え始めた。

結局田舎に帰りたいのかもしれない。
しかし問題が。
わたしは運転ができない。
免許がないのだ。
そしてこの先も諸事情で取得は難しい。

辺鄙なところが安らぐのに、住むことはできないのだ。

そこで最近は自宅から少し離れた比較的自然の多い所に出向くようにしている。
川や森、そういったものに出来るだけ触れようとしている。
少し目線を変えて、時間をかければ、今置かれた環境でも自分が求めているものに出会えることを知った。

自然に身を置くと、少しだけ田舎にいるようで、少しだけ心の中に隙間が現れる。
ほんの少しでもいい。
それが今のわたしには必要だから。

この地の虫や雑草をいつかは受け入れられるだろうか。

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