フリーランス 後編

後編まで3部作みたいな感じになるとは思わなかった(笑)

カタカタッ、書いてると当時の記憶が甦ると共に少しノスタルジーな気分にもなる。

ということで、続き。

初めてのオフィス北野でのネタは、大阪とマセキライブでも高評価だった自信のネタ。

しかし、マセキとオフィス北野では、事務所の雰囲気やイメージがかなり違うので、相性次第では、厳しいのではないかと思いながらも、再び全力でやった。

審査をしていた北野所属の僕らより10年以上の先輩方は、評価してくれた。

ネタ後の質疑応答で、元々、吉本だった事や芸歴のこと。

緊張しながらも答えた。

僕たちの出番が終わり、常連の組がネタをやっていった。

『フライデーナイトライブ』のチャレンジコーナーでは、お客さん投票で一位を3回獲れば所属に近づける制度があった。

当時、『がじゅまる』や『昨日のカレーを温めて』という後にライバルになる二組がすでに2回優勝しており所属まであと一歩という状態だった。

そんな常連組のネタは、前からみんな知ってるからかより和やかな空気で本来シビアなネタ見せの現場とは思えない空気作りの裏には、芸人自ら審査するというシステムだからなのかなと思った。

僕はその空気が好きだった。

チャレンジコーナー組のネタ見せが終わり、所属の若手と仮所属組のネタ見せが行われ始めた。

チャレンジ組は帰っても残っても良いという事で残って、所属(仮)の方のネタを観させて頂いた。

馬鹿よ貴方は、ルサンチマン、マッハスピード豪速球、銀座ポップ、かっぽんかっぽん、マザーテラサワ、林健太郎、セクシーJ等が約4.5組の枠を争いネタを披露する。

独特な見た目を活かした不気味で強烈な漫才の馬鹿よ

馬鹿よが”静の狂気”なら”動の狂気”の存在感たっぷり漫才のルサンチマン

優れた演技力と絶妙なセンスのコントのマッハ
確かカポエイラのネタだったかな。ガン太さんの『そいつ食えてんのか!』というツッコミが最高だった。

年齢不詳のおじいさんラッパー・銀座ポップ

二人の見た目の華とネタのギャップが著しかった大声とバカバカしいコントのかっぽんかっぽん。こういうコントに憧れた。

哲学芸人ならではの、お笑いのネタでは聞いたことの無い言語で鮮度のあるネタをするマザー・テラサワ

何故か可愛さを感じるおじさんの全力コント・林健太郎

セクシーJさんは金玉洗いという夢のようなネタをしていた。

僕の記憶ではこんな感じでインパクトが凄かった。

剥き出しの個性の連続だった。

大阪でも見たこともないマンパワー迸る人ばかりだった。

オフィス北野でやって行けるか少し不安になった。

(笑)

全てのネタ見せが終わり帰路につく頃、何かとても楽しい世界を発見、出会えた感覚があった。

後日、合格の連絡が来た。

あたまの中で映画『キッズ・リターン』のテーマ曲が流れた。

プラスのニュース

よし、やってやるぞ!と思った。

ほぼ同じくらいのタイミングでマイナスな悲しいニュースも入ってきた。

ルサンチマンよしおさんの訃報。

あのネタ見せの次の日の朝に亡くなっていたそうだ。

相方ルサンチマン浅川さんによると死因は突然死で、予見できない類いのもので、寝てる途中で苦しがり、そのまま亡くなったそうだ。

ルサンチマンさんは、同期だったバルチック艦隊がMー1準決勝に無名ながら行った事で、翌年2006年に同じように無名ながら準決勝に行った実力者で、『ルサンチマン』という名前は大阪時代から知っていた。

何なら、北野のネタ見せの時にお二人を見た時、
『あ、ルサンチマンがいるー!!!』って思ったくらいだ。

ネタ見せの状況的に後ろ姿でしかルサンチマンの漫才を観れなかったが、数時間後に亡くなる人間とは思えないくらいにパワフルだった印象がある。

あの日、最初で最後のルサンチマンの魂の漫才を俺は観た。

人はいつか死ぬ。そして、常に存在することはないのだ。

だから、今の幸せ、楽しみをたくさん生み、感じることが大事なんだ。

ルサンチマンさんに関してもまたじっくり書きたいと思います。

そんな、揺れ動いた『フライデーナイトライブ』当日までを過ごし、いざ、西新宿ハーモニックホールでの本番へ。

初めての場所と空気感でめちゃめちゃ緊張した。
大阪の頃からやり慣れている2分のネタをこの日まで何百回練習したことか。

当日の流れは、

オープニング

チャレンジコーナー

企画コーナー

所属の一本ネタ

告知

エンディングで結果発表

こんな感じだった。

オープニングから、所属芸人さんがルサンチマンよしおさんに触れ、ドカドカ笑いが起きる。

実はこの日の僕らのネタは、死がテーマのネタだったので本来ルール違反になる本番でネタを変えることも考えていたが、とても温かい空気で始まった。

北野のお客さんは、割と年齢層が高く、さらに男性が多かった。
ちなみに吉本は10.20代の若い女性が中心で客層の違いにウケるか不安があった。

でも、これなら大丈夫。良い空気。

一人の『死』さえも笑いに変えるプロとそれを楽しむ最高のお客さん。

オープニングが終わり、チャレンジコーナーへ。

全7.8組中の4番目くらいの出番だったかな。

セクシーJさんの『シルキーラインっっっ!』という、がなり(名前のアナウンス)でネタがスタート、2分間出し切った。

オチも決まり、暗転(舞台照明が真っ暗になる演出)と共に好感触な笑いと拍手を受けた。

手応え十分のウケ。

あとは、結果を待つだけ。

一安心でチャレンジコーナーは終わった。

続く企画コーナーでは、ルサンチマンよしおさん追悼企画で相方の浅川さんを筆頭に皆で故人を偲ぶどころか、罵倒、悪口、いたぶりの連続で爆笑の嵐。

ライブがどんどん盛り上がっていく。

まさに一体感。

一本ネタでは、若手に加えてベテランの米粒写経さん、ダイオウイカ夫(現やくみつゆ)さん、ホロッコさん等がさらにライブを盛り上げる。

最高潮のままエンディングの結果発表へ。

チャレンジコーナーでは、面白かった一組にしか投票できず、初登場の僕らは少し不利かもと思っていたが、100名前後のお客さんの中、70票か60票くらいの票数の1位で優勝できた。

ちゃんと評価してくれる素晴らしい事務所ライブだった。

打ち上げでは、米粒写経の居島さんと若手勢で、
よしおさんへ、皆で、「献杯。」と言ってビールを呑んだ。

あとは、北野の事、東京の事、空母あかぎの事などとても楽しく話した。

そこで北野の仲間と親しくなれた。

確か朝まで呑んだ。

マセキの夜に続く東京1年目の美酒”北野の美酒”だった。

そこから、運良く半年で北野に所属になった。

2015年 6月所属
当時としては最速だったらしい。

色々思い出しつつ、書いていたら、僕の中でやっぱり残すべき語るべき出会いと別れと、素敵エピソードの数々が思い出されたので、細かく書いて行けたらなと思います。

なので、ここからは、だいぶはしょります(笑)

そこから2018年にたけしさんの独立があり、たくさん居た仲間が移籍や離脱、引退していった。

僕らは残り、2020年にオフィス北野から『TAP』に事務所名が変わる。

そして、2020年、年末
コンビ解散、事務所退所

新たな活動を求め2021年からフリーのピン芸人になる。

ま、急に短縮しましたが、

はしょり過ぎや!!!(笑)

一つ一つもっと細かく書いていきます。
なので気軽に観てね。

より読み応えのある記事、ドキュメントも残せたらと思います。

ちなみに『フリーランス』の語源は、中世に遡る。中世は王や貴族は主力となる騎士を中心とした封建軍の補強として、戦争の度に傭兵団(フリーカンパニー)と契約して戦争に臨んだ。この中には正式に叙勲されていない騎士(黒騎士)や傭兵団を離れ戦場に臨む兵士がいた。当時は槍騎兵 (lancer) が自分の従卒として歩兵や弓兵を連れている形態が多かったため、契約の際には槍の本数=1戦闘単位としてカウントされた。まだ敵勢力と契約を交わしていない (英: free) 戦闘単位 (英: lance) を指す言葉として「freelance」が用いられるようになった。当時は兵士を指していた「free lancer」が、近世以降組織を離れて働く状態を指す言葉に変化した。フリーランスのフリー(英: free)は、“拘束されない”という意味で、無償の労働者という意味ではない。(ウィキペディア)

槍なんですね、ランスは。

今は、竹串、、いや、爪楊枝みたいな強さと小ささですが、皆様の心に刺さるたくましく楽しい希望の槍になれるよう頑張ります。

まさか北野に入ると思わなかったし、それも退所するとは思わなかったし、ピン芸人にもなるとも思わなかった。

でも、今、楽しいし、これからもっと楽しくなる気がする。ま、楽しくしていくんだけど。

波瀾万丈上等で俺は現世を泳いでいこうと思っている。

こんなヤツ一人くらい居ても楽しくやっていけることをまだ見ぬ誰かの力になったら良いです。

というわけで、後編は終わり!

良かったら、投げ銭してね。モチベーション上がるから(笑)

では、また描くぜ。



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