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”フィルム1本”という単位について

皆さん、フィルムで写真撮ってますか?

フィルム写真が好きな皆様、こんにちは。

今日は、僕が感じているフィルムの魅力についてお話します。


フィルムの魅力って?

皆様は、フィルムで写真を撮るとき、どういったところに魅力を感じていますか?

フィルム独特の色合いが好き?

粒子感が綺麗?

フィルムのカメラを操作するのが好き?

フィルムで写真を撮る理由や、感じている魅力はそれぞれだと思います。

100人いれば100通りの回答があるはずです。正解なんてないし、全部が正解でもあります。


100人中100通りのうちの1つの回答として僕がフィルムに感じている魅力は、フィルム1本という単位が存在していることです。

このことについて、掘り下げてお話をします。


フィルムとSDカードの違い

フィルムは、デジタルカメラで言えばSDカードにあたるもので、写真を記録するための記録媒体です。

今のデジタルカメラでは画像のサイズや品質を設定することでSDカードに保存できる枚数を調節できたり、SDカード自体の容量を大きくすることで非常に多くの枚数の写真を保存できるようになっています。

対して、フィルムは市販品では36枚撮りが一番多い枚数で、たった36枚しか撮ることができません(使うカメラやフィルムの銘柄で±数枚の誤差はあります)

1コマを半分の面積にして倍の枚数撮れるようにしたハーフサイズのカメラだって、それでも72枚。100枚には届きません。

これは35mmフィルムの話で、中判だともっと少なくて16枚(6x4.5判)、大判に至ってはホルダー1枚につきたったの6枚(グラフマチックホルダーの場合)だけです。


デジタルカメラはそれだけ多くの写真を保存できるので、実質無限に撮れるのも同然で、あまり残りの撮影可能枚数を気にしながら撮る人はいないのではないかと思います。いくらでもシャッターを押せちゃいます。

人によっては

「今日は〇百枚しか撮らなかったなぁ」

なんて考える人もいるかと思います。撮影時間に対しての撮影枚数からデータ量を計算して、必要なSDカードの枚数を決める、みたいなことをしている人もいるのではないでしょうか。

現代ではフィルムの場合、そのあたりがとてもスローになっていて、じっくり時間をかけて一枚一枚を撮る、という人が多いと思います。なぜなら、36枚撮りのフィルムを入れたカメラは、36枚しかシャッターを切れないから。

それに今では現像やプリント、あるいはスキャンにかかる時間やコストもあって、際限なく好き放題撮るということはなかなか難しいと思います。

殆どのフィルム写真を撮られる方は、フィルムの本数でその日の撮影の時間配分やペースを決めるのではないでしょうか。

例えば好きなだけ撮った結果、新しいフィルムを入れて2コマだけ撮って撮影終了、というのはあまりやらないと思います。おさまりが悪いというか、なんだかもやっとしませんか?

つまり、フィルムを使って写真を撮っていると

「今日は2本しか持っていないから、序盤から調子に乗って撮りすぎると後々もたなくなるな」

ということを撮り始めたときから意識してペースを考えるようになるし、フィルムが終わりに近づいてきたら

「今日はあと3コマで終わりだな」

と撮影終了を意識するようになるわけです。1本フィルムを撮り終わった後、特に撮りたいものがない、撮る予定がなければそこで区切りができます。撮り始めた瞬間から終了を見据えて撮り始めているわけです。

フィルムでの写真撮影はフィルム1本という単位の存在がおおきな意味を持っていると思います。


フィルムはストーリー性をもった記録媒体

このように、フィルムには違った始まりと終わりの時間の概念を持たせる性格があるという点で、単純に記録媒体としてSDカードに置き換えられる存在ではない、フィルムだけの個性をもったものだと思います。

ここから、僕がフィルムに感じている魅力のお話なのですが、先の時間の概念を持たせる性格に関連して、フィルムにはストーリー性があると思っています。

”フィルム1本”という区切りがあることで、その1本の中に特定の場所や時間や撮影対象、あるいは撮り方など、なにか共通項になるものが存在すると思います。

たとえば僕の場合だと、戦場ヶ原を歩いて撮ったフィルムその1その2とか、先週届いたレンズで試し撮りしたフィルムとか、友人をモデルにポートレートの練習をしたフィルム、とか。

たとえ1本撮りきるのに半年くらいかかって最早なにを撮ったか覚えていないフィルムだったとしても、それはなにを撮ったかおぼえていないフィルムとしてその1本でのまとまりが存在します。

なににしても、フィルム1本という単位がそのフィルムがなにを撮ったものなのかが明確に意味づけられる形で存在しているわけです。

これは言い換えればフィルム1本という単位のアルバムであるといえるのではないでしょうか。

だから、フィルムをネガファイルに入れるとき、6コマごとにカットしてスリーブに入れるわけですが、僕は途中に全く別のフィルムを混ぜたりはしたくないんです。なぜなら、そのフィルムの並びには意味があって、フィルム1本という単位で完結しているからです。

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この”フィルム1本”という単位が、撮影から現像、保管管理するときまでひとつのまとまりとして存在していて、写真として写っていないけれど明確に意味を持って存在している、そのことが僕がフィルムへ感じている魅力のひとつです。

重要なのは1本が何枚撮りかということではなくて、何枚撮りであったとしても1本というまとまりであるということ。そのまとまりの中に時間関係や場所や被写体の関連性があって、ストーリーになっている。それが面白いなあと思うわけです。

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