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1型糖尿病患者が走る"東京→大阪キャノンボール"達成レポ

2020年10月29日、木曜日。
来る週末に4連休を勝ち得た私は、「どこに走りに行こうかな?」と胸を弾ませながら計画を立てていた。
折角の4連休。どこか遠くへ行きたい。限界に挑むようなロングライドがしたい。

(この投稿は、payanecoさん(@gunma_no_yaro)主催の ロードバイク Advent Calendar 2020 12/15(火)担当記事です。)

計画~決行宣言まで

ここ1ヵ月半、ブルベ(指定されたチェックポイントを巡りながら、規定の距離を走るイベント)では400km、200km、300kmを相次いで完走。9月末開催となった富士ヒルクライムでも、初参加で目標のシルバー(75分切り)を達成し、コンディションとしては絶好調だ。

そんな時にふと頭をよぎったのが、「東京〜大阪キャノンボール」というワード。
東京の国道1号線始点から大阪の国道1号線終点までのおよそ500〜550km、もしくはその逆を、道交法厳守で24時間以内に走り切るという、その単純明快さと高い難度で、長距離自転車乗りにはよく知られたチャレンジである。
2017年3月、1型糖尿病(生活習慣や遺伝等に関係なく、インスリンの産生ができなくなってしまう原因不明の自己免疫疾患)の発症をきっかけにロードバイクに乗り始めた頃にその存在を知り、うっすらと「いつかは挑戦したい」という想いを燃やしてはいたが、これまでは「まだその器ではない」と尻込みをしていた。

「しかし、今のフィジカルをもって万全の体制で挑めば、もしかしたら24時間切りもあり得るのでは?」

そう考えた私は、早速ライド中の風向や風速、天候等の予報が確認できるアプリ"Epic Ride Weather"にルートデータを叩き込んだ。

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10月31日の午前5時東京発として、見事に最初から最後まで追い風である。
東京発では偏西風などの影響で向かい風となることが多く、ここまで追い風となるチャンスはそう滅多にあるものではない。やるならこの週末しかない!

……しかし、試走もなしにいきなり東京→大阪に挑戦するのはあまりに無謀が過ぎる。
国道1号線をひた走るキャノンボールでは、主に静岡県内において自転車通行不可のバイパスが頻出する。スムーズにバイパスを回避し、迷うことなく走り抜けるための試走はするに越したことはない。

そこで私は、今回は東京~名古屋の「初級キャノボ」として、静岡県内の試走をしつつ、本家キャノボを達成可能なペース(17時間切り目安)で走る練習をしようと考えた。
名古屋からほど近い街に実家がある私としては、宿代もかからず、離れた家族と顔を合わせることもでき、この上ない好都合だ。

こうして、10月31日(土)に「東京→名古屋 初級キャノンボール」を決行することを決めた。

ルート選定

基本のR1箱根超え、箱根旧道超え、近年主流となっているR246ルートの3パターンを検討した。ルート選定にあたっては、キャノンボーラーであるbaruさんのブログ(東京⇔大阪キャノンボール研究)を参考にさせて頂いた。

距離が延び、獲得標高も増えるR1箱根越えは真っ先に除外。土曜の午前という事もあり、行楽客の車やバスで渋滞することも考えられる。
R246は以前に須走から沼津へ走った際、ひどい渋滞に巻き込まれた記憶があり良いイメージがない。これまでに走った回数も少なく、勝手もよく分からない。
箱根旧道は関東屈指の斜度を誇る激坂だが、距離・獲得標高共にR1より少ない。私は173cm64kgと決して軽量級ではないが、激坂はむしろ得意とする方だ。三島側のダウンヒルは信号が少なく線形も緩やかなため、ここでペースを上げることもできるだろう。
箱根湯本までのR1~R134ルートはこれまでに何度も走っており、勝手知ったる道でもある。
という事で、箱根越えは旧道ルートに決定。

また、今回は東京→名古屋までの予定だが、本番用ルートデータのテストを兼ねて東京→大阪(伊賀越えルート)のデータをEdge530に読み込ませてナビをさせていた。これが後に功を奏することとなった。

使用した機材・ウェア等

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 バイク
フレーム:GIANT TCR ADVANCED PRO 2018
コンポ:SHIMANO R8050 Ultegra Di2 & R9100 Dura-Ace
ホイール:FULCRUM Racing Zero Carbon AC3
タイヤ:Continental GP5000 CL 25C
チューブ:Panaracer R'Air 23c-28c
サドル:PRO Stealth 142mm
サドルバッグ:ORTLIEB サドルバッグ L
フレームバッグ:R250 防水フレームインナーバッグ レギュラー
サイコン:GARMIN Edge530 & 拡張バッテリーパック
フロントライト:CATEYE VOLT800 & GVOLT70
テールライト:CATEYE RAPID X3 & OMNI3 AUTO & Bontrager Flare RT

 ウェア類
ジャージ:VALETTE 半袖ジャージ
インナー:パールイズミ コンフォヒートロングスリーブ(5℃対応)
アウター:パールイズミ ストレッチ ウインドシェル
レーパン:パールイズミ ウインドブレークライトビブ(10℃対応)
レッグウォーマー:パールイズミ ウインドブレークライトレッグウォーマー(10℃対応)
ソックス:パールイズミ ウィンターソックス
グローブ パールイズミ ウィンターライトグローブ(15℃対応)
反射ベスト:R250 サイクル反射ベスト
ヘルメットインナー:Haloバンダナ
ヘルメット:LAZER GENESIS AF
アイウェア:OGK KABUTO 121PH(調光レンズ)
シューズ:Specialized S-WORKS 7 ROAD + シマノ黄色クリート

 その他所持品
スマートフォン、財布、エマージェンシーカード
輪行袋(オーストリッチ ウルトラSL-100)
パンク修理ツール(携帯ツール、予備チューブ1本、タイヤレバー1本、タイヤブート、イージーパッチ、携帯ポンプ)
医薬品(ロキソニンS3錠、太田胃散3包、エスタロンモカ3錠、芍薬甘草湯3包、目薬)
インスリン、注射針、血糖測定器等一式
モバイルバッテリー(RAVPOWER 6700mAh)
VOLT800用交換バッテリー
ワイヤーロック(Crops Q3)
着替え(半袖Tシャツ、短パン、輪行用折り畳みシューズ)
予備コンタクトレンズ
補給食(マグオンジェル4個、グリコ クエン酸&BCAA6個)

すべて普段から使い慣れたものを使用した。ここ一番のロングライドで初物を使うことはしない。
普段のロングライドでは、「疲れないこと」を重視しPanasonicのクロモリフレームにステンレススポークのレーシング3を履かせて走ることが多いが、今回はファストラン。ゼロスタートの加速や箱根旧道の登坂を考慮し、手持ちの機材で最も軽くて速い、カーボンフレームのTCRとアルミスポークのレーゼロカーボンの組み合わせとした。

ウェア類も全て着慣れたもの。安心と信頼のパールイズミ。
パールイズミの秋冬物は、対応する気温帯が明記されるため購入時に迷うことが少ない。「末端冷え性だから手足はひとつ低めの気温対応のものにしよう」といった対策も取りやすいのがGOOD。何よりお手頃で安心して使い潰せる。
予報では5~22℃程度の気温帯であったため、晩秋装備とした。
シャモアクリームはアースブルーのプロテクトJ1を使用。自宅を出る前に一度塗っただけで塗り直しはしなかったが、尻の痛みや擦れは全くなく、快適に走ることができた。
シューズは、ロングライド用として気に入っていたMAVIC COSMIC ELITE SLを使用する予定でいたが、本番前日に致命的な故障がありまさかのゴミ箱行きに。ヒルクライムやレース用としているS-WORKS 7をやむなく使用することとなってしまった。剛性の高すぎるカーボンソールによる足裏の痛みを懸念していたが、結果としては杞憂となった。

サドルバッグには着替えや輪行用の折り畳みシューズ等、ライド中には使用しないであろう物を収納。
本来この辺りは軽量化のため前もって目的地へ発送しておきたい所だが、挑戦を思いついたのが2日前であったため間に合わず。
フレームバッグには補給食、VOLT800用バッテリー、モバイルバッテリーを収納した。

エンジンたる私は1992年製で決行時28歳。
25歳まで運動経験はまるで無し、5年ほど喫煙歴あり(禁煙済)というポンコツである。
実行当時のFTPは281W(PWR4.4W/kg)。
前述のとおり1型糖尿病が持病で、1日最低4回のインスリン注射を欠かすとすぐ死ぬというポンコツっぷりである。

挑戦前夜 10月30日(金)

通常通りの勤務を終えた17時。一目散に会社を抜け出し、帰路を急ぐ。
昨日すでにバイクのメンテナンスと荷造りはあらかた終えているが、まだまだやるべきことは少なくない。
18時、帰路の途上にある天下一品で夕食。ラーメン、餃子、チャーハンのセットであるサービス定食を迷わず注文した。とても糖尿病患者の食事とは思えない……

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「ロング前に脂質の多い食事は非推奨」という向きもあるが、私にとってはロングライド前の定番である。糖質・脂質共にたっぷりと摂取することで、高めの血糖値を長時間維持することができ、スタミナ切れをある程度防ぐことができる。糖尿病患者としては最悪を絵に描いたような食事だが、どうせ自転車で消費するし別にいいんでない?と考えている。美味いし。消化に悪い?知らんがな。
インスリン治療をしている糖尿病患者は、健常者よりもはるかに低血糖(≒ハンガーノック)のリスクが高い。高血糖のリスクを避けるよりも、如何に低血糖にならないようにするかが、今回のキャノボを成功させる鍵となるだろう。

帰宅後、ルートの再確認と持ち物や機材の再チェック、行程表の作成、入浴を済ませ、一息ついたのは21時半。静岡県内のバイパス回避ルートを、ストリートビューで念入りに「リモート試走」した。
翌朝5時スタートのためには、日本橋まで16kmの自走を考慮して2時半には起床したい。寝不足に一抹の不安を覚えながらも、22時頃には床に就いた。

挑戦当日 10月31日(土)スタートまで

予定通りの午前2時半起床。
4時間半睡眠の割に寝不足感はない。血糖値は200前後とやや高めだが、ロングライド前としては問題なし。
着替えと洗顔を済ませ、1日1回の持効型インスリンと、毎食前の超速効型インスリンを打つ。朝食は総菜パンを3個。5時のスタートを血糖値200前後で迎えられれば万々歳だ。

午前3時半、自宅を出発。10月末と言えど、深夜の寒さはもう初冬のそれに近いものがある。杉並の自宅から日本橋まではほぼ東へ真っ直ぐ。北東からの向かい風が吹いていた。日本橋をスタートすれば、この風が最高の追い風になるはずだ。軽めのギアを高いケイデンスでくるくると回して身体を温めつつ、脚を使わないペースでゆったりと走行した。

午前4時半ちょうど、スタート地点の東京日本橋に到着。やや早すぎたか。
お決まりの日本国道路原標で写真を撮影し「初級キャノボ」スタート宣言のツイートをする。
この時はまだ、24時間後に大阪まで525kmを走破している姿など微塵もイメージしてなどいなかった。

コンビニでトイレを済ませ、スタート地点でTwitterをチェックしていると、見覚えのあるTREK乗りの方に「ヮ ヵ ォさんですか?」と声をかけて頂く。まさかこれはお見送りというやつでは……!?
ロングライド界隈と大した繋がりもない私が、ましてや早朝4時半発の初級キャノボにお見送りに来ていただけるとは……!
聞けば、9月に同じ日本橋ブルベに出走していたという跳さん(@tobi_versteck)。ブルベ後にtwitterでやりとりがあり、相互フォローとなった方。跳さんはR246ルートで試走とのこと。エールを頂き、挑戦に向けてよりいっそう気合いが入る。

血糖値は良好。時刻は5時ちょうど、目の前の信号が赤から青に変わる。
さあ、スタートだ。

日本橋(スタート)~小田原

日本橋を出発し、ひたすら国道1号線を南へ。普段は多くの車が行き交う都内も、早朝5時台であれば車の姿はまばらだ。
風はもちろん追い風。遮るものは信号以外に何もない。パワーは160~180W程度のLSDペースだが、巡行速度は30~32km/hと順調すぎる滑り出しだった。

5時48分、多摩川大橋を超えて神奈川県入り。空が白んできて、夜明けが近い。気温は適度に上がってきて快適そのもの。
血糖値は250程度まで上昇し、測定器は高血糖のアラートを示しているが問題はない。しばらくペダルを回し続けていれば自然と下がるだろう。ロングライドの時は血糖値のターゲットを150~250程度としているので、想定の範囲内だ。

戸塚を過ぎ、国道1号線を外れて県道30号線へ。県道30号線からは海岸線を走る国道134号にアプローチでき、茅ケ崎~大磯間、国道1号線の信号が多い区間を回避することができる。海岸線も、風向きはもちろん追い風!

この区間、平均パワーは170Wだが巡航速度はおよそ35~40km/h。日本橋から茅ケ崎まで23.2km/hであったアベレージを一気に24km/hオーバーまで稼ぐことができた。

そうして8時32分、最初の補給ポイントとした86km地点のセブンイレブン小田原南町店に到着。追い風のおかげで脚はまだまだフレッシュだ。作成した予定表よりは2分押しているが、上々の滑り出しである。

おにぎりとブラックサンダーをフレームバッグに入るだけ買い込み、ボトルの水を補充して、停車時間はおよそ6分30秒でリスタート。

余談であるが、今回の補給はほぼ全ておにぎりとブラックサンダーのみである。
停車時間をなるべく削りたいキャノンボールにおいては、コンビニで休憩している時間すら惜しい。店内で「何にしようかな……」と迷ったり、普段のライドのようにコンビニの前でのんびりモグモグしたりなどは論外だ。
毎回同じものしか買わないと決めておけば、迷う余地が生まれずその分時短になる。特に、適度な油分があるチャーハンおにぎりは疲れていても比較的喉を通りやすく、コンビニ休憩の度に買い込むほど重宝した。
今回使用したR250のフレームバッグには、おにぎりを3個とブラックサンダーを3本収納することができた。信号待ちの隙に適宜食べつつ、消費した分をコンビニで補充してすぐに走り出すという運用方法を取った。

血糖値は180~220前後を行ったり来たりしている。理想的な数値だ。
普段はインスリン注射をせずにおにぎりなど食べようものなら、みるみるうちに血糖値が400近くまで上がるが、自転車に乗っている間は注射を打たずに食べても血糖値が下がり続ける。人体とは不思議なものである……。

小田原~静岡

小田原のセブンを出発すると、そこに姿を現すは天下の険、箱根の山。
三枚橋交差点を左折して箱根旧道に入ると、すぐに険しい峠道が始まる。
斜度は厳しく、大鳥居のコーナーや、実は12回曲がる七曲りは何度走っても乾いた笑いが出てしまうキツさだが、ここで体力を浪費する訳にはいかない。心拍は160~170bpm程度を保ち、無駄に踏まず、とにかく淡々と一定ペースで登ることを心掛けた。
峠の頂上には9時40分、三枚橋から50分ジャストで到達。普段のヒルクライムとは比べ物にならないタイムだが、今日の目的地はまだ遥か先。脚は十分残せたのでこれで良い。
芦ノ湖へと下り、おにぎりを頬張り登坂で消費したカロリーを補給する。血糖値は120程度まで低下していたが、この程度なら問題のない範囲だ。
標高の高さからくる寒さを懸念していたが、時刻は10時前ということもあり、気温11℃と晩秋装備で全く問題ない。箱根峠から三島、沼津への下りは速度が乗る快走路。トルクを掛けずくるくるとペダルを回して登坂で溜まった乳酸を散らしながら、爽快なダウンヒルを楽しんだ。

沼津を過ぎた131km地点でコンビニ休憩を取るつもりだったが、補給食の手持ちはまだ余裕がある。腰や肩に若干の痛みがあったが、この程度は普段のロングライドでも100kmを超えたあたりでよくあることだ。信号待ちでストレッチをすると問題ない程度に治まったため、コンビニ休憩はパスすることにした。

吉原駅を超えて田子の浦橋を渡ると、富士由比バイパスとの交差が現れる。本来はバイパスを無視し、新幹線駅前通りを直進、柳島日東交差点を左折して富士由比バイパスに復帰するのが正しいルート。しかし私の作成したルートは、田子の浦橋を渡ってすぐに富士由比バイパスに入るよう指示している。
「ルートは何度も確認したはずだ……しかしこの軽車両通行禁止の標識……歩道を走ればいいのか?」
結論としては作成したルートが間違っていた訳だが、混乱した私は、富士由比バイパスの歩道と思しき場所を進んでしまった。
そこは自転車の通行にはまるで適さない、雑草が生い茂る藪漕ぎのような歩道。「ミスコースした!」そう直感し、ペダルを止めてルートを検索すること10分、手痛いロスになってしまい、アベレージは22.7km/hまで低下してしまった。

ミスコースはあったものの、体調は相変わらず絶好調で風向きも追い風のまま。ちょうどお昼時に由比駅周辺を通過し、「あぁ、桜えびのかき揚げ喰いてェ……」となる一幕もあったが……。

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さして問題も無く静岡駅を通過し、補給食のおにぎりが尽きた宇津野谷峠手前、190km地点のファミリーマート静岡丸子東海道店で、およそ5時間ぶり2回目のコンビニ休憩を取った。
時刻は13時19分、8時間19分が経過した。前回の休憩をパスした時点で予定表はあまりアテにならなくなっているが、アベレージは22.8km/hまで持ち直した。問題はないだろう。

ここではおにぎりとブラックサンダーを補充したほか、脚に若干の疲労感と発汗による水分不足が出始めていたため、ザバスミルクプロテインを一気飲みした。見知らぬおじいさんに「どこから来たのか」「どこまで行くのか」と話しかけられ2分程ロスするも、停車時間8分でリスタートを切った。

静岡~名古屋

宇津野谷峠のトンネルを抜け、藤枝から金谷峠までは基本的に上り基調となる。しかし背中を押す心強い追い風。上り基調であるにも関わらず、お構いなしに30km/hオーバーで巡行することができた。
中盤の難所と言われる金谷峠も難なくクリア。箱根旧道と比べれば物の数ではない。

ここまでは非常に好調……だったのだが。

金谷峠を越えて掛川市に入ると、途端に力が入らなくなった。さすがに疲れが出てきたか?生あくびが止まらず、頭も回らない。追い風で下り基調にも関わらず、巡航速度は30km/hに届かない。
「低血糖だ」そう直感し、すぐに最寄りのコンビニに自転車を停めて血糖値を測定したところ、数値は82mg/dL。

危ないところだった。一度低血糖を起こせば、回復まではそれなりの時間を要する。この数値ならまだ首の皮1枚で安全圏だ。
しかし、これ以上血糖値が下降すれば、昏睡や思わぬ事故の原因にもなりかねない。安全第一で、血糖値が回復するまで長めの休憩を取ることとした。

それにしても静岡は東西に長い。
学生時代、青春18きっぷで連れと2人、東京から広島を目指す貧乏旅行をした時も静岡県の長さには辟易したが、自転車の単独走となればなおさらだ。「まだ静岡かよ」と愚痴をこぼしてもひとり。
箱根を超えて早130km以上静岡県を走った挙句、掛川で「浜名湖 50km」の青看板を見た時はさすがに少し気持ちが萎えた。ひたすら両側にロードサイド店舗が続く郊外の道路は風情も何もなく、この辺りは精神的にも辛い区間だった。

オレンジジュースでおにぎりとエスタロンモカ1錠を流し込み、ストレッチで体をほぐしながら待つこと10分、頭が冴えてくる感覚が分かったため15時23分再スタート。結局ここでは14分のストップとなり、アベレージは22.4km/hまで落ち込んだ。

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しっかり糖分を摂取したからか、カフェイン錠剤の効果か、相変わらず吹き続ける追い風のおかげか、いや全部か。
天竜川を越え、浜松を抜け、「あぁ……うなぎ食いてェ……」という煩悩を振り切って浜名湖を過ぎて日の入りを迎えるころには、みるみるうちに調子が上がり巡航速度は32~35km/h、アベレージも23km/h近くまで回復した。時刻は17時4分、12時間4分経過で残りは約100km。
目標である東京~名古屋17時間切りはほぼ確実になりつつある。

潮見坂を駆け上ればそこは愛知県豊橋市。潮見坂で内転筋が攣りかけたものの、芍薬甘草湯を服用し、走りながらマッサージすることで簡単に治まった。
お決まりの「岩屋キャノンボウル」で写真を撮り忘れたことを少し悔やみつつ、名古屋へ向けて北西に進む。
豊橋~岡崎にかけては軽い渋滞に嵌る場面もあったものの、概ね好調にアベレージ23km/h前後をキープすることができた。
しかし今日は、私が進行方向を変えるたびに面白いように背中側から後押しする風向きに変わる。掛川での低血糖以降、補給をよりこまめにして血糖値も安定している。300kmを超えて、肩や腰の痛みも消えてきた。脚もまだまだ余裕がある!
途中で1度のコンビニ休憩を挟みつつ、次第に頭の中では「この絶好の風向き、体調もまた上がってきた。GPSのナビも大阪まで入っている。このまま終わりたくない!」という気持ちが次第に強くなっていった。

そして5回目のコンビニ休憩、357km地点のファミリーマート名南星崎店。20時34分、16時間を切るペースで名古屋市に到達した。ここでついに決断。

言った手前、もう後には引けない。「チャリで帰省するからよろしく」と伝えていた実家に「ゴメン、このまま大阪いくわ!」と連絡を入れ、再スタート。母は半ば呆れつつ、大変に心配しつつも背中を押してくれた。
熱田神宮南交差点では、「ああ、ここを曲がって名古屋駅に行けば電車ですぐ実家なんだよな……」と邪念が頭をよぎった。
正月以降はコロナ禍の影響で帰省できておらず、当然家族に会いたい気持ちもあったが、こんなチャンスはまた来るとも限らない。振り切って木曽三川を超え、21時40分に三重県へと足を踏み入れた。

名古屋~関

私にとって、愛知県より西はほとんど未知の世界だ。修学旅行で行った京都市街とUSJ程度の記憶しかない。三重県に足を踏み入れるのは初めて。そして同時に、これまでのワンデイ最長ライドは400kmブルべを1回走ったのみ。行程表は元から名古屋までしか作っていない。四日市市で走行距離は400kmを超え、まさに何もかもが未知の世界になった。
そこに折り悪く起こるEdge530のトラブル。10秒程度フリーズして再起動したかと思うと、それまで順調に動作していたナビが、転換点を知らせるアラートを発しなくなった。
幸いマップ上にルートは表示されているので、これを見落とさないように辿っていくほかない。
自身の過去最長距離を超えさすがに疲労も溜まり、郊外に進むほど減る街灯。そしてサイコンのトラブル。一抹の心細さと、待ち受ける深夜の伊賀越えに不安を覚えつつ、相変わらず背中を押す追い風に乗り、30km前後の巡行速度で関宿を目指した。

行程表がないため、名古屋以降のペース配分は頭の中で計算した。
毎時00分にEdge530のラップボタンを押し、1時間当たりのグロス平均速度を確認する。そして残り距離を残り時間で割り、今後の区間で要求されるアベレージと現在のペースを常に比べつつ進むことで、精神的に余裕を持って走ることができた。

鈴鹿を過ぎるあたりで18時間が経過し残り距離は114kmと、アベレージ20km/hをキープできれば確実に24時間を切れる計算。ほぼ達成を確信しつつあった。

最後の休憩ポイントとなった427km地点、ファミリーマート国1関宿店には23時40分到着(18時間40分)。血糖値は150前後。
気温は6度。冷えて硬くなったおにぎりを食べようとするが、疲労で胃が固形物を受け付けなくなってきているのを感じる。
戻しそうになるのを抑え込んでおにぎりを無理やり飲み込み、100kmを残して補給が困難になりつつある事態と、深夜の山間部でさらに強まるであろう冷え込みに一抹の不安を覚えながら、伊賀越えに挑んだ。

関~梅田新道(ゴール)

東海道関宿西交差点を左折すると、いよいよ伊賀越えが始まる。
斜度自体はそう厳しくないものの、この区間は採石場を出入りするダンプのせいで路面が荒れており、野生動物も多い区間である。
補給ポイントが少なく、非常時にエスケープできる手立てもないため、致命的なトラブルがあれば復帰はおろか生死を賭けたサバイバルになってしまう。
細心の注意を払いつつ、人家のない区間ではベルを連打しながら大声で「消してぇーーーー!リライトしてぇーーーー!!!」とASIAN KUNG-FU GENERATIONの「リライト」を歌い、動物が飛び出さないことを祈り進んだ。道路交通法では「警音器を鳴らさなければならないとされている場合、または危険を防止するためやむを得ないとき」以外はベルを鳴らしてはいけないとされているが、さすがに道交法違反よりも鹿や猪が怖い。
結果、動物との邂逅は20m前方に鹿が一瞬飛び出し、すぐに山に帰っていった一度のみ。道路脇の茂みでは度々「ガサッ」と音がして非常に怖かったが。
0時23分(19時間23分)、なんとか無事に13kmの登坂を終えて頂上の亀山・伊賀市境にたどり着くことができた。

伊賀市を抜け、京都府は南山城村に入る。しかし寒い、寒すぎる。時刻は1時半、Edge530の気温は2℃と表示されている。高い強度で走れば5℃程度までなら問題なく対応できる服装だが、これまで470kmを走り、稼働時間は間もなく24時間、もはやLSD強度がいっぱいいっぱいな状態ではそれも叶わない。
おまけに、伊賀の山を越えて再び血糖値が130前後で低空飛行を始めた。積もり積もった疲労で、冷えて硬くなっているおにぎりは到底咀嚼できそうにない。
寒さに凍えながら、ようやく見つけた自販機でホットのミルクティーを購入。ブレーキレバーを握れないほどにかじかんだ手を温め、ブラックサンダーをミルクティーで溶かしながら流し込む。凍り付いた全身が解凍されていく様だ。28年間生きてきて、ここまで美味いミルクティーは初めてだった……

ミルクティーの温かさと糖分で回復、さらにマグオンジェルで糖分を追加し、停車時間4分で再スタート。
液体やジェル等でエネルギーを摂取すると、即効性はあるものの持続性がない。多めに摂取して血糖値をやや高めに振るくらいがちょうど良いだろう。

下り基調の木津川市を抜け、奈良県に入ると清滝峠への上りが始まる。もはや180Wを出すのが精いっぱいだが、もう達成は濃厚だ。急ぐ必要はない。
登坂を終えて清滝第一トンネルを抜けると、眼前に大阪市街の夜景が広がった。
時刻は午前3時過ぎだというのに、大阪の街は煌々と光を湛えている。
「ああ、ついに来たんだなあ」
そんな感傷に浸ると共に、今日一日で走り抜けてきた街の記憶の数々が走馬灯のように駆け巡る。
比べるのも失礼な話だが、100年近く前に大西洋単独無着陸飛行を世界で初めて成功させ、愛機に「翼よ、あれがパリの灯だ」と語りかけたというチャールズ・リンドバーグも、ひょっとしたらこんな気分だったのかもしれない。

3時44分(22時間44分)、517km地点。ついに大阪市へ。

深夜でも、タクシーは街中を忙しなく行き交っている。心なしか東京のタクシーより運転が荒い気がする。ここで事故を起こして、全てを棒に振るわけにはいかない。体力も限界が近い。慎重に慎重に、ゆっくりと進んだ。

そして、ついにゴール地点である国道1号線終点、梅田新道の標識が見えた!
午前4時10分、23時間10分にてゴール!

走行経路

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走行実績

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走行距離 524.87km
所要時間 23時間10分33秒
乗車時間 19時間25分21秒
平均時速(グロス)22.7km/h
平均時速(ネット)27.0km/h
平均パワー 146W
平均NP 153W
平均心拍数 131bpm
最大心拍数 171bpm
獲得標高 3,535m
消費カロリー 10,121kcal
走行ログ(Strava

写真を撮ってツイートしてから、全身の力が抜けてしばらく突っ立ったまま動くことができなかった。
9割の達成感と、短く長い1日の旅が終わってしまった寂しさが1割。
そういえば、名古屋で走り終えて実家に向かう予定が大阪まで走ってきてしまったため、行く当てがない。一瞬途方に暮れかけたが、梅田新道からほど近い場所にネットカフェを発見。疲れ切った身体に鞭を打ち、まるまる20分を掛けて輪行袋にTCRを詰め込んだ。
何のトラブルも不具合もなく、私を大阪まで運んでくれた相棒。これまで2万5000kmを共にし、またひとつ思い入れが増えた。
ネットカフェに入店し、シャワーと着替えを済ませ、狭いブースで実に27時間ぶりに身体を横たえた。走っている間はずっと目が冴えていたが、身体は正直なもの。あっという間に眠りに落ちた。

総括

今回、私がこのキャノンボールを試走なし、突然の思い付きで成功させることができたのは、終始吹き続けた追い風と、そのチャンスを確実に獲りに行ったフットワークの軽さによるものが非常に大きい。
ただし、何も無鉄砲、無計画に飛び出した訳ではない。

・直前に400kmブルベでオーバーナイトの経験をしていたこと
・Googleストリートビューによる「リモート試走」
・補給やコンビニでの時短法を、普段から実践しモノにしていたこと
・達成に必要十分なフィジカルと装備

これらにより、東京~名古屋間を17時間程度で走行できる自信は十分にあった。
特に、昼スタートの400kmブルべはキャノボに向けた良い練習となった。昼12時ごろスタートし、キャノボ達成ペースで走行すれば完走まではおおよそ18時間前後、翌朝となる。いつも通りの朝に起きて、昼にスタートし、翌朝まで走りつづけることで、24時間活動しつづけるイメージができていた。

リモート試走は挑戦前夜に突貫で静岡県内のバイパス回避のみ行ったが、ミスコースは富士由比バイパス一度だけで済んだ。
実地での試走については、インターネット上にキャノボルートに関する集合知があり、ストリートビューで仮想体験をもすることができる今の時代、必ずしも必須ではないのかもしれない、と感じた。(ミスコースしているので説得力が無いけれど……)

コンビニ時短法については様々な先人たちの知恵があるので割愛するが、今回のキャノボではGARMINのスマートウォッチに内蔵されているSuicaが非常に重宝した。スマホやカードを取り出す手間すらなく、レジに左腕をかざすだけで決済が完了する。便利な世の中だ。そのうち手の甲あたりにマイクロチップを埋め込んで、決済から解錠、色々な認証などなど、何も持たずに身一つでできる時代も来るんだろう……

血糖値のコントロールについて

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概ね理想的な血糖コントロールができていた。
信号待ち等でこまめに血糖値をチェックし、150~250mg/dLをターゲットに、血糖値が下がる前に食べる、空腹を感じる前に食べることを徹底した。
なお、走行中は24時間にわたって一切インスリン注射をしていない。
本来、糖質を含む食事の前には毎回必ず糖質量に応じて超速効型インスリンを注射する必要があるが、これだけの長時間に及ぶ運動ではエネルギーの消費が余りに多く、1日1回注射で24時間効果が持続する持効型インスリンのみで十分すぎる血糖降下作用が得られた。

反省点としては、掛川で血糖値が低血糖寸前まで急降下し、14分のストップを余儀なくされたところ。藤枝から金谷峠頂上までの上り基調で、想像以上にエネルギーを消費してしまっていたのだろう。
宇津野谷トンネル手前で補給するか否か迷って食べなかったが、ここでおにぎり一つでも食べておけば22時間台も狙えたかもしれない。

血糖値のチェックには、アボット社のフリースタイルリブレを使用した。
指先を穿刺して血液で測定し、数値のみが表示される従来の血糖測定機と異なり、上腕に取り付けたセンサーにリーダーをかざすだけで、およそ1秒で血糖値(厳密には間質液に含まれるグルコース値)の変動をグラフでチェックできるスグレモノである。

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1型糖尿病を患い、低血糖や高血糖のリスクを抱え、常に血糖値を気にかけながら自転車に乗るということは決して楽なことではない。重症低血糖で昏睡に至れば命の危険すらあるし、今年の富士ヒルクライムではアドレナリンの分泌と補給ミスで血糖値が450mg/dLオーバーまで上昇し、最後の1/3は吐き気を堪えながら走ることとなった。

しかしながら、血糖値をグラフとして可視化する術を持つという点は、健常者が感覚でしか分かり得ないハンガーノックの危険を可視化するという意味では、1型糖尿病患者だからこその強みと言えるのかもしれない。

たとえ健常者であっても、血糖値はスポーツにおけるパフォーマンスに大きく関わってくるものである。ハンガーノックは正に低血糖そのものであるし、補給食として糖分の多い飲み物を一気飲みすれば、過剰にインスリンが分泌され急激に血糖値が乱高下する「インスリンショック」という症状も起こりうる。
現に、ロードレース界で最強のチームのひとつとして知られるチームイネオスの選手たちも、フリースタイルリブレで血糖値をモニタリングし、パフォーマンス向上に役立てているという。

フリースタイルリブレは、糖尿病患者でなくとも各種通販サイトで気軽に購入することができる。リーダーが約8000円、センサーが2週間の使い捨てで約7500円だ。
1型糖尿病患者、インスリンを導入している2型糖尿病患者が医師の処方を受ける場合は健康保険適用となる。

最後に

悲しいことに、私はこれまで「1型糖尿病をきっかけにスポーツを諦めた」という人を何人か目にしてきた。
しかし、ロードレース界では、選手全員が1型糖尿病患者で構成されるUCIプロチームの"Team Novo Nordisk"があり、世界のトップレベルのレースで活躍を見せている。他のスポーツでは阪神タイガースの岩田稔投手や、サッカースペイン代表のナチョ選手も1型糖尿病だ。私が1型糖尿病を患い、入院した際の主治医は「病気とうまく付き合えば、エベレストだって登れるよ」と言った。
一般人からすればこれらはまるで雲の上の話だが、だからこそ、1型糖尿病で何かを諦めようとしている人に向けて声を大にして言いたい。

「病気とうまく付き合えば、凡人の私でも東京→大阪を23時間で自転車で走るくらいはできたよ!」

そして、東京→大阪から早1か月半、次は大阪→東京キャノボ、つまり双方向達成のタイミングを虎視眈々と狙っている自分がいる。走り終えた時は「もう二度とやるもんか」と思ったが、どうも人間というものは辛い記憶はさっさと忘れるように出来ていて、このチャレンジには自転車乗りを惹きつける何かがあるらしい。

このレポートを最後まで読んで頂いたあなたも、物は試し、ちょっと24時間走ってみませんか?
(道交法厳守で無理はせず!)

※本記事では糖尿病治療、とりわけ運動や食事等について扱っていますが、あくまで筆者個人の例です。基礎疾患を有する方が運動に取り組む際は、必ず主治医の指示に従って下さい。

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