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小笠原貞慶に学んだこと

 もう少しで完了という仕事もいくつかあり、月末感を味わっているところです。そう言いながらも新しい仕事も開始して、同時に月初のリセット感も味わっています。

 拙著「衆妙の門」もKindle化しようと加筆修正の用意をしています。こちらは信州旅行で見た小笠原三代の展示がきっかけで、小笠原長時から秀政に続く彼らの戦国サバイバルを長編小説にしました。同人誌版では結構端折ったところも多かったために、Kindleで出す際はもっと長くなりそうです。

 小説を書いたことで小笠原貞慶についても多少知ったわけですが、彼から学んだことは多々あります。特に地盤を持つことの大切さです。
 信州小笠原は長時の際に武田信玄の信濃攻略によって没落し、各地を流浪して信州復帰を目指すようになります。各時代の天下人とも縁があり、貞慶には遠戚にある三好長慶から偏諱を賜ります。
 詳細を端折って書いていきますが、彼は織田信長のために関東地方の外交を担当するようになりました。結果の報告に信長自身と対面していたようです。彼が留守の時は右筆に報告していたそうです。

 そんな彼の信州復帰好機となるのが、甲州征伐です。これで武田勝頼が自刃し、武田家が滅亡したことは皆さんご存知のところでしょう。貞慶も旧臣を率いて戦に参加しました。
 ところが、旧領は木曽義昌に与えられ、貞慶は失意の内に織田を去り、京都へ隠棲します。そこへ本能寺の変が起こり、徳川家康を頼りました。所謂天正壬午の乱です。
 貞慶は家康の支援を得て、旧領復帰を果たし、徳川、上杉、北条を翻弄する存在に化けました。以降は改易なども受けますが、息子秀政は家康の孫婿になるなどして家名を残します。

 彼が織田信長に使い捨てされた時の心境はどうだったのでしょうか。
 信長は度々こういうことをやっていて、謀反を起こされたりもしています。貞慶はそちらに舵を切らなかったわけですね。結果として京都に引っ込んだことが吉と出ました。
 信長にとっても根無し草の貞慶は吹けば飛ぶような存在で、使い捨てにしても問題ないような状態でした。
 現在の私も思いの外、仕事を紹介頂いていますが根無し草。
 吹けば飛ぶような存在だと自認して、スキルアップに、仕事の開拓に行動しています。もちろん、自分が儲かるだけを目指していては誰も巻き込めないし、ジリ貧です。頼りになることも地盤を築くことにつながると思っています。
 そして、徳川、上杉、北条を相手に生き残った外交手腕や戦でのそれなりの強さ。必死だけではいけない、また別の精神も持ち合わせることが大切ですね。

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