アスタラビスタ 3話 part6
「ここは区営体育館だ。武道場は地下一階。第一武道場は畳だから、俺たちは板張りの第二武道場を一般公開で使う」
雅臣と私が訪れたのは、彼らのマンションからほど近いところにある区営体育館だった。とても新しいとは言えず、外壁は所々剥がれていたが、温水プールもあり、設備は充分整えられているようだった。
「い、一般公開ってなんですか?」
「要するに団体貸し切りじゃないってことだ。この券売機で券を買えば、個人利用ってことになる。予約なくても貸してくれるんだよ。ま、先客がいるかもしれないけどな」
財布を出した雅臣は、受付の隅にある券売機で、武道場の券を二枚買った。
「あの、お金は……?」
一人分が320円だった。とっさに私は自分のバックから財布を出そうとした。
「いい。おごられておけ」
首を横に振ってそう答えると、雅臣は券を二枚、受付の女性に渡した。私は彼に「ありがとうございます」と小声で言ったが、雅臣には聞こえていないようだった。
体育館なんて、何年ぶりだろう。は薙刀をやっていた頃、スポーツ少年団で市営体育館をよく利用していた。田舎の体育館だったため、券売機などなかったが、節電のために所々電気が消えていて薄暗いとか、外と比べて少しひんやりした空気が流れているとか、似ている点が多々あった。
受付が済むと、雅臣は「武道場に行く」と言って、階段へと向かった。私の防具と薙刀を持った彼は、自分のバッグしか持っていない私よりも素早く階段を降りて行った。「足元、気を付けろよ」と数歩先を降りながら言う彼は、私より随分と大人に見えた。
地下の廊下は真っ暗だった。節電という範疇を越え、電気は一つも点いていない。ぼうっと自販機の明かりが光っている。
「こっちだ」
雅臣の声がする方に目を凝らすと、派手なオレンジ色の髪が、暗がりでもすぐに見えた。彼のこういう時に便利だな、と少し思った。
暗がりの中で、私は何も見つけることができなかったが、雅臣は感覚で場所を覚えていたようで、第二武道場の扉を見つけた。彼が扉を押すと、僅かな隙間から明るい光が漏れてきた。
「先客か……」
面倒そうに雅臣が独り言を呟いた。当然、誰もいない方が道場のスペースも広く使える。そしてやろうとしていることが、二メートルを超える薙刀を振り回すことなのだ。危険が伴う。先客がいないことを願うのは当然だった。
扉を開け、煌々と明るい道場の中に先客としていたのは、ショルダータイプの防具袋を床に降ろし、薙刀を右手に持った清水と、その隣で興味津々に防具をつついている圭だった。
「雅臣! 紅羽!」
私と雅臣を見て、圭が大きく手を振った。
「なんだお前らか。早かったな」
そう答えた雅臣に続いて、私は道場の中へと入った。道場は意外にも小さかったが、体育館の外装から予想していたほど汚くはなく、むしろ新しかった。あまりハードな稽古では使われていないからなのか。それとも最近修繕などが入ったからなのか。
「俺たちもさっき来たばかりだよ。今日はここ、他に使ってる人はいないみたい」
清水が優しい笑顔を作って答えると、雅臣は「ありがとうな。道具取って来てくれて」と礼を言った。
「いいよ、全然。組織の倉庫の、随分わかりやすい場所に置かれてたから、探す手間が随分省けたよ」
雅臣に礼を言われ慣れていないのか、清水は心底嬉しそうだった。
「なぁ、紅羽! それって、紅羽の防具か!」
道場を横切り、私へと走り寄って来た圭は、雅臣の背中にある防具を指差して、尋ねてきた。「うん」と小さく頷くと、「すげぇな! かっこいいなぁ!」と雅臣の背後へと周り込み、私の防具を持ち上げた。
「おい! 人の物なんだから、もっと丁寧に扱えよ!」
自分の背負っていた荷物を圭に持ち上げられ、雅臣は眉間に皺を寄せて、声を荒げた。
「うわ! 埃がすげぇ!」
圭が防具袋を持ち上げた瞬間、白い誇りが辺りに舞い上がった。
「あらら、ずっと放置してたんだね」
清水が苦笑いを浮かべた。咳き込む圭に、雅臣は「自業自得だ」と言わんばかりに鼻で笑った。
「紅羽、着替えてこいよ。女子更衣室、廊下出て左にあるから」
後ろにたたずむ私に、雅臣は静かに言った。私は不安になり、もう一度自分の洋服のポケットに抗不安薬があるか確認した。その様子を感じ取ったのか、雅臣は私を安心させるように言った。
「大丈夫だ。何かあったらすぐにやめる。心配するな」
ここで、私が薙刀をせざるを得なくなったのも、何かの運命なのだろうか。私は運命など信じる性格ではなかったが、ここまできて、やらないという選択肢はなかった。
自分を変えるために努力しなければならないのなら、今がきっとそのチャンスだ。
「……分かりました」
私は、この地獄から、這い上がりたい。
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