2023年8月2日 「『苦い涙』と変な夢」

昼まで起動できず。

フランソワ・オゾン監督『苦い涙』を観に行った。これはヴィム・ヴェンダースとかとともにジャーマン・ニューシネマの監督の一人であるライナー・ヴェルナー・ファスビンダーが撮った『ペトラ・フォン・カントの苦い涙』を原案とした映画。

主人公のピーターは映画監督。最近彼氏と別れたらしい。カールという助手を召使みたいにこき使っている。女優のシドニーが連れてきた美青年・アミールに一目惚れして、恋仲になって自宅に住まわせるとともに新作の主演に起用。アミールはブレイクする。アミールは調子に乗っていく。ピーターは愛の虜。アミールは出ていく。ピーターは酒に溺れ、カールに八つ当たりし、憔悴。そしてピーターの誕生日、母や娘、シドニーにも八つ当たり。

ピーター役のドゥニ・メノーシェ、ファスビンダーにそっくり。オゾンはファスビンダーの話として作っている。というかこの話、『ペトラ・フォン・カントの苦い涙』とはもちろん似ているんだろうが、私は『TAR/ター』の後半の深刻じゃないバージョン?と思ったりした。いわゆるグルーミングに近い(とはいえアミールも恋愛であると認識しているし、同意もしているしグルーミングとは違うんだけれど)ことが、実はそもそもアミール側からの仕打ちだったというのは違うけれど。だからこちらの方が安心して観られる。喜劇的な場面もあるしね。むしろピーターとカールの関係の方が問題がある。

そういえば、ピーターが部屋で一人で踊るシーンは『エゴイスト』の鈴木亮平を思わせる。力強く壮絶な恋の歌を大音量でかけながら、バスローブ姿で踊る。どちらもいいシーンだ。どちらもゲイの役だけれど、これって当事者が見たら大いに共感できることなのだろうか。多分そうなんだろう。『エゴイスト』は大勢の当事者が製作に関わっていたし、『苦い涙』の監督フランソワ・オゾンは自身がゲイであることをカミングアウトしている。

アミールが美しい。特にその裸体が。もちろんベッドにうつ伏せて頭を上げてタバコを吸いながら(『パルプ・フィクション』のポスターのユマ・サーマンみたいに)横たわっている扇情的な感じや、横向きに寝そべっているときの脚の組み方や腰のくびれの官能的な感じも素晴らしい(映画としての計算はもちろん、ピーターに対するアミールの計算を感じる)し、筋肉のつきかたや引き締まりかたはもちろんなのだが、やはりピーターのデスクの横にある巨大なポートレートが良い。腰布だけを見に纏い、両手首を頭上で縛られ、目線は上。あちこちに矢が刺さっている。聖セバスチャンのテーマだ。篠山紀信が撮った三島由紀夫の写真にも同テーマのものがあるようだ。三島が『仮面の告白』に登場させて実際に写り、ピーターがアミールを被写体として撮らせたのも、わかる。「性的/生的」なものが、死の匂いと腰布だけを身に纏っている。それ自体がエロティック。ある人からある人への目線を表すものとして、ある種の象徴的な役割を果たすのは確かだろう。

それから、助手のカールの美しさ。ぴったりとしたニットをベルボトムのパンツにインし、髪を綺麗に分けて撫で付け、猫のようにしなやかな身のこなし。ピーターのひどい命令に、手を震わせて応える。どうトレーニングしたらこう動けるんだろう。

それからこの映画、ほとんど全てのシーンがピーターの家の中で展開する。いわゆる室内劇というやつだが、それなのに色んな人が自由に動き回るのが自然で、そこも素晴らしい。ダイナミックな室内劇。登場人物もたった6人きりだし、上映時間も1時間半弱。ミニマルな映画でも満足感は十分。

大変楽しめました。

昼寝をした。と言っても夕方から夜にかけて。夢を見た。自分はどうやら最寄りのコンビニにいて、そこにあるイートインは本来あるものよりも大きかった。二つある空間のうち、一つは分厚い上着やダウンや幾つものキャリーバッグが占めていた。もう一方には、その持ち主たちと思われる人々がいた。それは私の中学までの同級生たちだった。3歳からの幼馴染もいたし、小学校からの同級生もいた。他はあまり知らない人たちだった。すぐ右に、中学の国語の女性教師がいた。私が顔を出すと、みんな「おっ」という感じだったが、なぜかこちらまで来て会話をしてくれる者はいなかった。国語教師だけが話しかけてくれ、「文芸部の合宿よ」とか何とか言った。私の中学に文芸部はなかったし、友達二人も文芸部ではなくバレー部だった。その幼馴染は昔は髪を短く切っていたが、今では髪を伸ばしている。が、夢の中では短いままだった。二人は二人だけで話していて、私には話しかけてくれないのが異様であり、寂しかった。国語教師はなぜか同級生(幼馴染ではない方)の話をしてくれた。部員ではないが、なぜかついてきている、という話。そして、「最初の頃に生徒会の生徒がゴミを捨てるのを注意したが聞く耳を持ってくれなかったらしい」という同級生の体験談を語った。それは私もなぜか知っている話らしかった。その後、場面はバスの中に変わっていた。バスの後方の座席を丸ごと彼女たちが占有していた。私は相変わらず国語教師とのみ話している。私は彼女に、京都の学生の家賃は東京や大阪よりずっと安い、という話をしていた。彼女はなぜかピンと来ていないようだった。やがて私が降りるバス停が来た。私はバス停とコンビニを混同したまま「このバス停からウチまで20秒で着く」みたいなことを言った。実際にはバス停からもコンビニからも20秒では着かないのに。バスから降りる時、一瞬で過去の記憶が蘇ってきた。これは存在しない記憶である。夜の廃墟で、ロープを伝って家から家に飛び込んだりして誰かの死体を見つけたような気がする。あまりはっきり覚えていない。バスを降り、そこで夢は終わった。

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