2023年11月19日 「映画いろいろ」

特に忙しかったわけでもないけれど、日記をサボりまくっていた。映画の感想でも書こうかしら。『キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン』に関してはネタバレあり。

フランソワ・オゾン監督『私がやりました』

 圧倒的なヴィジュアルの美しさ、テンポの良さ、ストーリーの楽しさ、ギャグの冴え。最高にゴージャスで楽しい中に、男性社会への痛烈な皮肉が込められている。一見「Me Too」を揶揄しているようにも見えるが、実はそこにこそ女性の主体性を描いているんじゃないかと思う。

マーティン・スコセッシ監督『キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン』

 今年の本命、巨匠スコセッシの新作。遂にディカプリオとデ・ニーロががっぷり四つ。色々と思いを巡らせる甲斐のある映画。原作のノンフィクションではFBIの前身である捜査局の捜査官ホワイトの側から描いていたし、これまでの映像化でもそうだった。しかしこの映画の主人公は犯人側のアーネスト。主犯であるウィリアム・”キング”・ヘイルの甥である。ここがうまい。これまでと同じように描いては、「白人のヒーローが窮地のオセージ族を救う」みたいな話になって、普通の話になるし、アメリカに住む白人として反省がなさすぎる。かといってオセージ族の被害者視点だと、いかにも「反省してみせている」感じが出る。その間で板挟みになる存在としてのアーネストを主人公に据えれば、ウィリアム・”キング”・ヘイルとオセージ族の妻モリーの両方を繊細に描き出せるし、当時の白人のヤバさ、搾取の構造を鮮烈に描き出せる。何より面白い。
 アーネストはキングに言われるまま、糖尿病のモリーに与えるインスリンに薬を混ぜる。アーネストだってこれが毒であることくらい気づいている。でもその気づきを抑圧する。キングはモリーのためを思っているのだと、あくまで信じようとする。いや、信じざるを得ないというか、脳が無理やり信じさせたのだと思う。だから、反省したように見えた後にも、最後にモリーに「本当は何を注射してたの?」と聞かれたとき、どう答えようか迷って「インスリン」と答えてしまう。確かにこのことは、「嘘をついた」とも言えるけれど、アーネストとしてはちょっと違うんじゃないか。薬を渡された段階で毒だと怪しんでいただろうし、最終的に自分でも飲んで具合悪くなってるわけだから気づいてはいるけど、口には出していないから事実とは確定していない(つもり)、キングのことも一応信じているという建前がある(が、本音と区別つかない)、このギリギリの境界線上にいる、そのさまがあの目の泳ぎと「……インスリン」なのだろうと思う。つまりアーネストにはモリーを愛しているという気持ち以外には確かな意志も判断力もなく、彼はただキングの言いなりとして生きるだけの人間ということ。そういう「虚無の人間性」の前では、アーネストの(キングに言われて始まったがそれ以上に真剣になった)愛も、モリーの(アーネストが利権目当てと分かった上で愛するという)深い愛も負けてしまったという話なのではないか。このアーネストとモリーの愛の、括弧内がこの映画の面白いところで……。
 多分アーネストがモリーを愛する気持ちは嘘ではない。モリーも、最初からアーネストが利権目当てと気づいていた。でも、だからこそ……というところがミソ。
 この事件は、悪名高いFBI長官フーバーがプロパガンダに利用した。それだって、先住民族への差別構造の一つだ。スコセッシは、そのことをも告発するように、最後に自らラジオドラマの壇上に立つ。

須藤蓮監督『ABYSS/アビス』

前作『逆光』は見逃してしまった。重量感のある映画。自殺した兄を軸として、対照的な動きを見せる、弟と、兄の元恋人。故郷の街と東京も対照をなす。どちらにしても、それぞれの「深淵」からは逃れられない。

ジャン=リュック・ゴダール監督『軽蔑』

ゴダールにしてはわかりやすいな、と思ってしまった。今まで見てきたゴダール映画は『勝手にしやがれ』『はなればなれに』『女と男のいる鋪道』『女は女である』『気狂いピエロ』『さらば、愛の言葉よ』。これらの作品は、ストーリーと言えるものがほぼないか、あってもごく単純なものであるものが多い。その中で、私はストーリーをあまり気にせず、ただ映像のリズムや独特の時間の流れを楽しんでいた。だから、『軽蔑』では主人公と妻カミーユの感情を読み解く余地があったから、むしろ期待が外れてしまったような気分になってしまった。それにしても、カラーで動くフリッツ・ラングが見られるのはこの映画ぐらいじゃないだろうか。フリッツ・ラングのモノクル、かっこいいな。

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