バンパイアとネガティブ (短編小説)

 街の外れに、もう何年も前からシャッターを下ろしたままの店があった。 
 街の人は、いつもはその店の事など忘れているが、ある時だけはふと思い出すのだ。そう、雨の日だ。店には、ちょうど雨を凌げる屋根がついていて、シャッターに寄りかかれば濡れる事はなかった。
 この店の前では、雨の日だけ交わる事のない人同士が交わるのだ。

「僕がバンパイアだと言ったら、貴方は信じますか?」
「いや、信じないですね。」
「え?今なんと?」
「いや、信じないですねって…。」
「あ、ですよね…。」
 自分をバンパイアだと名乗った男は、あからさまに肩をすくめた。
 女は、さっさと雨が止んでくれたらいいのに、と思っていた。当然である。土砂降りの中ようやく雨を凌そうな場所を見つけたと思えば、隣の男がバンパイアを名乗り出したのだ。気味が悪い事この上ない。
 確かに、男の顔は青白く、口の端から牙のようなものが見え隠れしていた。だが、顔色が悪い人間なんていくらでもいるし、歯の形は人それぞれだ。これだけで他人をバンパイアと断定できる訳がない。
 それに、すらりと長い足や引き締まった身体、整った顔立ちや短く刈りそろえられた髪を見る限り、ありきたりな人間にしか見えなかった。今見えている情報だけでバンパイアと断ずるのは、無理があるだろう。
「信じてくれないんです、誰も。」
「まあ、そうでしょうね。何というか、こう、非現実な部分を見ないと、信じられないというか。」
 なんでこんな会話をしているんだろう。女は自分の中で何回も問うた。しかし、結局は自分の人の良さに回帰されると結論され、考えるのをやめた。そして、自己嫌悪が溢れ出した。
 ああ、自分はいつも他人に利用されている。中学の時、隣の席の松永君にいつも宿題を見せていたし、大学の時は川西君の代返をしていた。自分は何故いつも他人に利用されるのか。ああ、情けない。
 彼女はこういう事をいつもしていた。生産性のない事だと分かっていても、やめられないのだ。傷ついた時に酒を飲むと、それが癖になりアルコール中毒になってしまうように、女は今や自己嫌悪中毒に陥っていた。そして、その事に薄々感づき、また自己嫌悪に陥るという無限ループを繰り返していた。先程起こった、声が小さくて聞き返されたというシーンも、自身を傷つける道具になっていくのだ。
「中々ね、非現実的な事も今は出来ないんですよ。血を無理矢理吸おうものなら、捕まってしまいますし。」
「じゃあ信じるのは、難しいかもしれないです。」
「そうですよねえ、まいったなあ。」
 苦笑いをしながら、頬を人差し指でポリポリと掻く姿は、どう見ても人間そのものだった。女は、こんなほんわかした奴が世界三代怪物の一角を担っているとは、どうしても信じられなかった。
 女がふと天気を見ると、雨足は余計に強まっていた。まだ帰れそうにないので、質問をぶつけてみる事にした。
「あの、そもそもなんで、自分の事をバンパイアだって、信じてもらいたいんですか?」
「え?いや、うーん。」
 バンパイアは、頭をポリポリと掻きながらこう言った。
「自分の存在を、勘違いされたままなのは悲しいですからね。人間も、犬や猫と勘違いされると、なんだかモヤモヤしませんか?」
「犬や猫と勘違いされた事はないですね…。」
「ああ、それもそうですね。姿形が違いすぎますもんね。」
 あっさりと持論を撤回し、舌を出して笑いながら恥ずかしさを誤魔化す様は、とても人々に恐れられる怪物とは思えない。しかし女は、バンパイアであろうが人間であろうが、きっと性格は良いのだろうと思った。
 「バンパイアって、結構面倒なんですよ。血は、政府と契約しているから献血が貰えるけれど、夜しか外に出れなかったり、ニンニクが食べられなかったり。体的な事はまだしも、バンパイア界は体質も古くて。人間と付き合っちゃいけないとか、上下関係をしっかりとか。」
「はあ。」
「それでも、バンパイアである事を捨て切れないんですよ。何でですかね。」
「…好きなんじゃないですか、バンパイアである自分を。」
「ああ、なるほど。そうかもしれません。」
「羨ましいです。自分の事が好きでいられるのが。」
「はい?」
 バンパイアは驚いたような顔を見せた。自分の事が好きではない、という事実が理解できないのだ。
「私は、自分の事が好きではないので。」
「ど、どうしてですか?」
「どうして…?」
 女は頭の中で、過去に書いた自己嫌悪のリストを捲っていた。六法全書の数倍はあろうかというそのリストの中から、もっともらしい理由を探していた。一体、どの条文を読み上げれば納得してもらえるか。女の中の自己嫌悪専門家は、凄まじい勢いで資料を作成していた。
 しかし、それらしい結論は出なかった。あまりにも古くから自分の事を嫌っていたので、根本の理由の部分の書類が見当たらないのだ。紙とは違い、記憶というものは消えゆくものであり、今や女は質問に答える事が出来なくなっていた。
「もう、生理的なものとしか言えないですね。」
 女は抽象的な言葉でお茶を濁した。
「生理的なもの?」
「いやもう、全体的に気持ち悪いんですよ。キョドってるし、がさつだし、根暗だし、やる気ないし。」
 中身のない悪口大会が進行する。午後3時のファミリーレストランの一角で、ドリンクバーの残害とともに行われるそれのように、軽すぎる意味しかもない罵声を自分に浴びせた。そしてそれが、バンパイアが聞きたい答えではない事は分かっていた。
「うーん、なんというか、自分の悪い所を見つけるのが得意なんですね。羨ましいです。」
「え?」
「いや、悪い所を見つけられないと、良くはなっていかないじゃないですか。僕はいつも、お前は自分のいいところばかりに目をやってるって、上のバンパイアに言われるんです。だから成長しないんだって。」
「でも私、成長なんかしてないですよ。」
「それはきっと、自分の良い所を見つける訓練をしてないから、そう感じるだけです。それに、赤ちゃんの時から比べたら、今は成長してるじゃないですか。」
「…まあ、そうかもしれません。」
「後、周りの人と比べるのはあんまり良くないですね。意味がないので。それがモチベーションに繋がるなら、構わないですけど。暗くなるくらいなら、我流で突き進んだ方がマシですね。」
「はあ、なるほど。」
 女は呆気に取られた。何故バンパイアに的確なアドバイスを貰っているのか。しかも、どの言葉も正論だ。もちろん、この言葉を知ったからといって、急にポジティブ人間になる訳ではない。しかし、こういう物の見方もあるのだなあという、参考にはなった。
「なんか、ありがとうございます。」
「いえいえ、自分の良い所は他人に探してもらうのも良いかもしれないので、誰かに聞いてみてください。」
「…あの、思ったんですけど。」
「はい?」
「バンパイアでも人間でも、貴方は貴方であって、とっても良い、人?バンパイア?なんだと思います。だから、無理に属性を知ってもらうより、貴方自身を知ってもらう方が良いと思います。」
「…なるほど。それはそうかもしれません。」
 顎に手を当てながらそう言う。そして、バンパイアは女の方を向き、お辞儀をしたり
「ありがとうございます。これからは、そうやって生きていきます。では、これで失礼します。」
「え?雨、全く止んでませんけど。」
「私はバンパイアですよ。むしろ、雨足が強まるのを待ってたんですよ。太陽の光が完璧に弱まるし、それに…。」
 バンパイアはおもむろに上半身裸になった。背中には、大きな羽がついていた。
「雨の日は、みんな傘をさしていますから。空なんか見ないですから、飛ぶにはうってつけなんです。」
 にっこり笑いながらそう言うバンパイアを、女は呆然と立ち尽くしながら見る他なかった。
「では、ご縁があったらまた会いましょう!さよなら!」
 雨の中を悠然と飛び立つバンパイアを、女はずっと眺めていた。今のは何だったのだろう、夢でも見ていたのか、でも足先は雨粒で冷たい、とそんな事を考えていた。
 そして、女は周りに誰もいない事を確認すると、飛び去っていったバンパイアに向けて、メッセージを送る事にした。息を吸い、出来るだけ大声を出せるよう、彼女なりに頑張った。
「バンパイアー!もしバンパイアと信じて欲しいならー!御託を並べるよりも羽を見せた方が良いぞー!」
 それは別に本心の言葉ではなかった。けれど、羽を見た今、この言葉を言わざるを得なかった。
 一瞬、女の目の前を何かが高速で横切った。勢いのあまり、女は目を閉じた。女が目を開けると、足下に何かが落ちていた。それは黒い羽だった。女はそれをポケットにしまった。
 雨は止みそうになかったが、女は濡れて帰る事にした。雨だからといって、いつまでも同じ場所で足踏みする訳にはいかないのだ。雨に濡れても、必ず晴れる瞬間はくる。だから、雨宿りする時間も、進んだ方が良い。女はそう思い、土砂降りになった道を走っていった。
 

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