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アルバムの中の既発曲、何曲まで許せる?(エッセイ)

音楽についての話です。

世はまさに大サブスク時代な訳で、多くの人が音楽をサブスクで楽しんでるのが現状です。筆者もapple music会員です。

で、サブスクって一曲づつ好きな曲を選んで聞く事が出来るメディアです。CDの時代だと、個人でコンピを作るしかなかったですからね。Aさんのあの曲とBさんのあの曲だけを聞きたい、みたいな事も誰でも簡単に出来ちゃう訳なんですね。

そういう聞き方をみんながしてるので、アーティストさんもそれに対応してきてるな、と感じます。具体的には、とにかく新曲を単曲で出しまくる。CDの時代なら、シングルを出すにしてもカップリング曲も用意してたので、時間がかかる。けど今は、単曲でサクっと出して、バズらなかったら次の曲、というような戦略なのかな、と感じます。

さて、みんながそれぞれにプレイリストを作るので、必要とされなくなったのが「アルバム」です。アーティストサイドから提示された流れよりも、好きなように聞きたいという時代では、好きでもない曲が入った流れを聞かなければならないアルバムなんて、非効率的な時間の過ごし方です。

そうなってくると、単曲を出しまくる→曲が貯まる→貯まったしアルバム出すか、新曲は少なくていいや…。という流れになってくるんですよね。アルバムという聞き方の価値をアーティストが落としてしまっている。今まで追ってきてくれたファンであればあるほど、損な聞き方になってしまうんですね。

少し話を変えます。今日、とあるアーティストさんのアルバムを初めて聞きまして。凄く良かったので、ホームページなどをチェックしてみたんですね。で、ディスコグラフィーのところを見ると、アルバム9曲のうち8曲が既発曲だったんですね。マジで!?と思いましたね。(誤解のないように言っておきますが、アーティストさん自体はめちゃくちゃ好きになりました。アルバムももう3周聞いてます。)

個人的には、アルバムという聞き方にはすごく愛着があるんですよね。子供の頃、アルバムってベストアルバムしかないと思っていたのですが、ヘッド博士などのコンセプトアルバムと出会って、アルバムって面白いなと思った所から音楽が好きになったので。なので、こういう世の中の風潮は、少し寂しさを覚えます。まあ、音楽が良ければ何でもいいじゃんという気持ちもありますが。

アルバムの話をしているので、この話もしようかな。去年、VaundyとKing gnuがアルバムを出しまして。両者共に既発曲が溜まりまくってる問題を抱えていました。で、それぞれ違うアプローチで問題解決していたのが面白いな、と感じましたね。Vaundyはアルバムを2枚組にし、片方に既発曲を固め、もう一枚を新曲中心のアルバムにしました。なるほど、これなら既発曲が多くてもアルバムの流れを伝えられそうです。ただ、一枚目と二枚目につながりを感じられず、既発曲はオマケになってしまう。一方、king gnuはcdの収録時間ギリギリまで色んな曲を詰め込みました。タイアップ曲からアルバムのための書き下ろし曲まで、ギチギチに詰め込んで、尚且つ一枚のアルバムとして無理のない流れに仕上げました。一方、世界観を守るためにインタールードが多いなとは感じましたね。タイアップ曲とそうでない曲を橋渡しするので、仕方ないのですが。

それぞれ違ったアプローチで面白いと感じました。それで、今気になっているのは米津玄師がどうするかですね。シンウルトラマン、チェンソーマン、FF14、ジブリ、朝ドラ、ジョージアなどビックタイアップ曲がてんこ盛りになるはずの次のアルバム、どうまとめるのでしょう?米津玄師が出した回答は、アルバムという聞き方に大きな影響を与えそうな予感がします。

個人の好みを言うと、アルバム大好きなので、半分くらい新曲にしてほしいなあとは思ってますね。けど、色々難しいんだろうなあ。

皆さんは、アルバムの中の既発曲、どのくらい許せます?

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