「穏やかに生きる」の「穏やか」を定義してみる
ー穏やかに生きようと思ったのはどうしてですか?ー
自分にとっての心地いい状態、自分らしい在り方ってなんだろう?って考え続けていると
都会みたいなキラキラした華やかな世界ではないなと、ある時気がつきました。
その時、自分にとっての理想は、田舎みたいなのんびりした時間が流れる世界だと確信しました。
忙しすぎるのは嫌です。
成果を出せないと報酬が少ないのは納得できますが、ヒエラルキー(社会の中での階級みたいなもの)の中に組み込まれるのは嫌です。
みんながしているからという理由で、自分もしなければいけないとされるのは嫌です。(アンチ同調圧力)
そんな嫌なことをするくらいなら、社会的地位は何もいりません。
お金は必要最低限以上はいりません。
そのかわり、何をするかは自分で決められる自由な時間が欲しいです。
これらの考え方や価値観を一言で表せる言葉をぼんやり探してみたら、
自然に「穏やかに生きる」と自分の中で決まりました。
ー「穏やかに生きる」の「穏やか」について、あなたの定義を教えてくださいー
私の中の「穏やか」とは
・「○○してみれば、まあなんとかなるでしょ」
・「たとえ上手くいかなったとしても、まあ死ぬわけじゃないから、またやってみればいいよ」
と思える心身の状態のことと定義しています。
楽観主義に近い感じです。
ー「穏やかな生き方」の具体例を教えてくださいー
例えば、仕事を辞めると決めた時。
「また仕事を始めようと思えばまたできる。」
「今は家族のサポートにまわって、家庭の中で時間と心のゆとりを持てる方が大事。」
「子どもが子どもでいる時間は今しかない。今しかできないことをしてみよう。」
「お金を稼ぐのは何歳でもできるさ」
「いつでも再開できるように、勉強や運動は自分でしておこう」
「収入が少ないことを利用して、生活費を抑えるスキルを身につけよう」
こんなことを自分に言い聞かせながら穏やかに過ごそうとしています。(現在進行形)
他には、投資で損失が出た時。
「たくさん時間をかけてきたのに、時給単価マイナス。確かにそうだけど、まあ死ぬわけじゃないから、これを学びにすれば何十年か先にきっと役に立つよ」
「投資で成功しているどんな人もアップダウンは繰り返している。自分もまだその途中にいるだけ。」
「まだ少ない資金で練習している状態だから生きていけないほどでは全然ない。時間をかけながら経験を積めば積むほど、上手くできるようになるはずさ」
自分の失敗を受け入れて次に進む訓練と捉えると、逆説的に穏やかになれます。
もちろんその前にがっかりや不快感はありますが、それでいいんです。なんとかなるから。
ー「穏やかに生きる」を実現させる一番のポイントは何でしょうかー
自分の中のべき思考や完璧主義を手放せるかどうかだと思います。
そのためには、また逆説的になるのですが、べき思考や完璧主義を悪者扱いしないのがコツでしょう。
もう一人の自分が、私たちを守るために作り出してくれていたのがべき思考や完璧主義だからです。
「ちゃんとした私でいられるように」「周りの人と上手くやっていけるように」とがんばってくれていました。
そんなべき思考完璧主義のもう一人の自分に
「今までありがとう。これからは自分のことは自分で決めてやっていけるから、もう大丈夫だよ。」
と言えたら手放せると思います。
まるで自分の中で巣立ちの時を迎えるような、そんな感覚ですね。
親子でゆっくり本音で対話をするかのように、
もう一人の自分の話をゆっくり聞いてあげる一人の時間を大事にしながら、
これからも「穏やかに生きていく」つもりです。
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