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題未定(2)

しましまのキャンディは、田舎の実家で畑仕事を手伝ったときにいつもばあちゃんがくれた。その晩はきまって妖怪みたいに伸びきった野菜が夢に出てきて、こわがりなわたしを脅かすのだった。気がつけばもう十年近く帰っていないが、たまに届く野菜は相変わらず不格好で安心する。おとなの口にはすこし小さいキャンディを舌で転がすと、あの湿った土がふとよみがえる。


右手の酸味がかった缶コーヒーは、あまり好みではなかった。しかしなんとなく、薄暗いに朝にちょうど良かった。食パンの入ったレジ袋を大袈裟に揺らしながら歩くと、おとななんかやめたくなる。


就職と同時に越してきたこの街での暮らしは、田舎とも都会ともいえない、その中途半端さが気に入っている。大きな通りには排気臭いトラックや車が行き交い、左右に枝分かれして住宅街が広がって、夕方には子どもたちの笑い声が響く。近所のスーパーの店員がやけに丁寧で、町中華の店がそこらじゅうにあるところなんかも好きだ。眺める景色に馴染みがあるわけでは無いのに、どこか感じてしまう懐かしさ。わたしにはそのくらいが「適当」な場所だった。


オートモードの音楽が最後の曲になる。いつつくったのかすら忘れてしまったプレイリストは、わたしの身体にじゅうぶん溶けていた。一曲目にもどし、また再生ボタンを押そうとしたところで、左耳のイヤホンがおちる。突然流れこんできた朝は、あまりにやわらかで透明だった。葉が擦れあう音や、遠くの道路を走る車輪の音が、風に乗って自由だ。わたしは思いのほかとおくに転がったイヤホンを、いそぎ追いかける。


遮りたいものばかり増えはじめたのは、いつだったろう。複雑に混じった人々の話し声、店から漏れだすBGM、首の痛くなる巨大広告は、文字でさえ痛みを伴った。憧れは、たぶんすこしずつ、すこしずつノイズになっていった。雑味まみれになっていった。その度わたしの音量があがって、世界は深くなっていった。夢だけが幼く、そのままだった。


だから、こんな、


静けさを忘れてしまっていた。ききたい音があったことも、音量のある世界にはそれがなかったことも全部思い出して、おおきな息を吐き、呼吸と一緒にいろんなものを飲み込んだ。大丈夫、これが必殺技なんだ。それと同時に透けた水色の結晶がひとつ、ぽつり、と落ちて、コンクリートが泣いた。ずっとまっすぐで、灰色で、なんでもないコンクリートが、はじめて泣いた。


コンクリートは、あの日のワンピースのような水玉模様だった。おひるの太陽みたいにあっという間に飛ばしたり、夜みたいに隠してしまわずに、ただそのままで、わたしの夢みたいで、それがやさしかった。



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