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孤独について

何人暮らしかわからないほど靴を並べた七畳半の玄関、駅近マンション。すぐに冷める足の伸ばせない湯船、ざらざらの入浴剤。いつの日かの染みがずっと取れないでいる、水色のタオル。

よく知らない孤独、光らないロック画面。干し方を間違えて伸び切ったニット、寝る前に流す聞いてもいない雑学。流行りのおすすめ映画は、いつも三〇分で寝てしまうので何も起きません。

「わたしは、ここに必要でしょうか。」

わたしは確かに存在しています。必要でも、必要じゃなくても、私はここに生きています。生きることが全てです。それでもたまに、誰にともなく聞きたくなるのです。サトウのごはんに期限切れの納豆をかける瞬間や、シャンプーをいくら押しても出てこないときに、なんとなく聞きたくなるのです。

畳むのをめんどくさがった段ボール、水で薄めた食器用洗剤。結局いつも同じ動画を見ては、ふとしたセリフを覚えていることに安心します。

この世界には、ありとあらゆる種の孤独が落ちています。例えば、小さいときスキー旅行の間に死んでしまったハムスターのからだや、玄関を開けたとき真っ暗な一人暮らしの反響、もうくっ付くようになってしまったフライパンや、呆気なく迎える未来の終わり。それは全部別々の孤独で、寂しいとか虚しいとか、それではちょっと大きすぎる括りではあるけれど、私たちはそれぞれ、ずっと孤独を抱えているのだと思います。

わたしも、あなたも、家族も友人も恋人も、三日前に丸ノ内線で隣に座ったおじさんも、よく行くセブンのレジのお兄さんも、みんなちょっと孤独なのです。孤独であって欲しい、その方があっているかもしれません。

寂しさを寂しさで埋めるな。それでこそいい人間、つよい人間、すばらしい人間、自立した人間。きっとそうなのでしょう。でも、みんないつだって孤独なのです。孤独同士がくっついて、冬の野良猫のようにあたため合ったから、丸くなった背中を寄せ合ったから、死なずにいた瞬間も確かにありました。

湯船のぬくもりは、どんどんと水に変わっていきます。もう少しあったかくしててくれてもいいじゃん、もう少しでいいのに、と思いながら部屋を出るのです。

ごめんねと言われて答えられなかったこと。段ボールに詰まった母の手作り料理に泣くのです。孤独のままで、誰かの孤独があまりに温かくて泣くのです。

ずいぶん寒くなりました。なんとなく気怠い体も、いつの間にか迎えてしまう深夜の静けさも、何度も読み直す手紙も震えるような季節になりました。寒さにやられてしまうのです。それですこしばかり許してください。

孤独について。わたしはずっと、孤独でいようと思うのです。わたしの孤独が、いつの日かの誰かの孤独で温められたことを忘れたくないのです。だから一緒に孤独でいませんか。あなたの孤独をおもいます。

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