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題未定(1)

目が覚めて、小刻みに設定したアラームより五分だけ早く起きてしまったことを後悔する。あと五分、あと五分と思ううちに三〇分も寝過ごしては、相変わらずばたばたと布団を畳む。

ひっくり返ったぬいぐるみに挨拶をして、飲みかけの麦茶を空にする。皺だらけの服を引っ張り出して思考停止してから、あわててアイロンの電源をいれた。とりあえず最大限まで温度を上げて、おそるおそる布に落とし、まるで幼稚園生のお絵描きみたいに不規則に動かす。

朝は、静かだ。朝は、きまって朝のにおいがするもので、それは晴れの日も雨の日も変わらない。朝ごはん?犬の散歩?そんな人間のはじまりからもう少し前の、まっさらになった半透明のにおい。窓をあけて朝の風を浴びると、わたしはいまこの瞬間ひとりだとわかる。だれもいないと、わかる。

愛についておもうとき、となりに孤独が腰掛ける。孤独の坊やはいつも口を開かない。しましまのキャンディを渡すとそっと両手で受け取り、すこしだけ笑う。稀に頷いたり、首を振ったりすることもあるけれど、「ぼくね、」なんて話し始めたことは、一度もない。わたしは、坊やがどこでどんなふうに暮らし、どんなものを食べて、どんな布団で寝ているのかも知らない。ただ、坊やは、愛についておもうときかならず現れる。

二人の待ち合わせは、ランプのしたの古びたベンチだ。塗装がはげたところに片方だけの相合傘がかいてあり、腰掛けるたびに軋む音がなる。音のない朝を通りぬけたわたしたちは、その場所で静かに、人々の朝がはじまるのを待つ。

いつからか、夜を離れるようになった。夜の寂しさを恐れたわけでも、夜の賑やかさに飽き飽きしたというわけでもないが、おやすみといわれることじゃなく、おはようの挨拶のために眠るようになった。次第に夜が魅せる人の生ぬるさを忘れ、星空にかがやく月は憧れになった。それだけじゃない、漠然とたくさんのものから離れていくような気がしたけれど、正直それが心地よかった。夜空にかかるうっすらとした雲の色だけをずっと覚えていた。

すこし前までのことだ。朝なんて来なければいいとおもう夜が、幾つも重なった。目を閉じなければきっとわたしを通り越して、どこか遠くへ旅に出るだろうとおもった。一方でそんな淡い願いは虚しく、いつも上空ではじける。白っぽい光に目が眩み、また都会のコンクリートでヒールを鳴らす。毎日は、そんな夢ユメの繰り返しだった。

もうなにもかも、疲れてしまった。このまま夜に吸い込まれたいとおもった日があった。まるで妖精の粉にかかり、意識を攫われてしまったようだった。どのくらい眠ったのかわからない。白い光のなかで目が覚めたとき、わたしは朝の色をはじめて知った。

寝癖のまま観葉植物の埃をはらう。水をあげると、すこしだけ背伸びしたみたいだった。それはとっても愛おしい瞬間で、わたしの指先から溢れたぬくもりのようだった。

食パンが切れてしまったから、コンビニまで歩いた。朝の眠そうな店員の顔は知らなかったし、ほとんどカラになった冷蔵庫はすずしげな顔をしていた。わたしは、しましまのキャンディとぬるい缶コーヒーを買い、ワイヤレスイヤホンを耳にもどして店を出た。

【つづく】

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