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ドリアンのマタイ・ワールド

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マタイ福音書ノートの目次
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2021年4月の記事一覧

タダシさを追い求める人の天国

マタイ5:6  ~やさしさのあとの正しさ~ 天国に入れる一番手は正しい人じゃなかった!ということ?「さいわいな人」の4番目でようやく、「正しさ」がでてきます。 たしかに、この世では正しいと思っている人どうしのぶつかり合いが多いし、オーバーヒートにもなりがちだし。やさしさを身に着けてから、正しいことは何かを考えるのは、正しいのかも。。。 義に飢えかわいている人たちは、 さいわいである、彼らは 飽き足りるようになるであろう。 “正しい”のではなく”飢えかわいている”熱帯の

天国のやさしさ

マタイ5:5 ~やさしさが世界を包むときが来る~  世界の富裕層トップ何人かの資産が貧困層何十億人の資産と同じ、というような報道があります。土地の所有はどうなのでしょう? そして最後に地を所有することになるのは、だれなのでしょうか。 柔和な人たちは、 さいわいである、彼らは 地を受けつぐであろう。 それは柔和な人たちだ、とイエス・キリストは言いましたが、裕福さが人をやさしくするということ、なのでしょうか。。。 地を受け継ぐさいわいは、この山上の説教を聞いている人に向け

自分の居場所が天国になる

マタイ5:4 ~自分の居場所を喜ぶ~  自分の居場所がなくて放浪しなければならない、って、、、 「ヨソモノ」がその地に溶け込むまで10年はかかるかもしれません。もしかしたら、いつまでたってもそうならないかも、と考えたら、どうやって生きていけるのでしょうか。 海外で暮らしていると、けっこう身につまされる状況です。 悲しんでいる人たちは、 さいわいである、彼らは 慰められるであろう。  他民族に支配されている者への約束の言葉今から二千年前、イエス・キリストが山上の説教を

毎日が天国

マタイ5:3 ~今、永遠の命を生きる~ 日本では、聖書の中で一番有名な箇所かもしれません。山上の説教と呼ばれる個所の冒頭の言葉です。 こころの貧しい人たちは、 さいわいである、 天国は彼らのものである。 天国は近づいた、天国は彼らのものイエス・キリストは、すぐ前の章で「悔い改めよ、天国は近づいた。」とのメッセージを伝えています。五章のここでは、近づいただけでなく、すでにその人の手中にある、と宣言しているわけです。その人こそが本当に幸せなんだ、と。 好きではない言葉の

パッションとミッション

マタイ28:16-20 ネバー・エンディング・ストーリーというファンタジー映画 (原作はドイツ語の子供向けファンタジー小説) がありました。物語が本の中にとどまらず、今の自分にかかわってくる、と。。。 マタイの福音書も、そんな感じです。 エルサレムの郊外で十字架にかけられたイエス・キリストが、復活。このパッションの物語が、福音書の頂上。そこから一気にジャンプ台から踏み切る、という最後を迎えます。 アジアの東の端に生まれて、アジアの西の端のことなど遠い世界で全く知らなか

パッションとミッション マタイによる福音書26~28章

マタイによる福音書26~28章 マタイが記録しているイエス・キリストの最後の5日間の出来事。宣教の大命令と言われる一言を最後に完結します。

三日目までの墓の番

マタイ27:62-66 脱出イリュージョン。抜け出すことなど不可能だと思える状況で、そこから抜け出るマジック。 岩を他人が新しくくりぬいた洞窟に入り、外から重い石で蓋をし、さらに、国家権力で封印して兵士の番をつけさせる。その洞窟から抜け出る、という脱出劇が行われました。しかも、洞窟に入る前に、殺されて、死亡が身内によって確認され、そうして洞窟に入れられ――葬られたのでした。 三日目によみがえる、という予告が、半年前から宣言されて。 弟子たちは誰も信じていなかったのです

夕暮れ時に光がある

マタイ27:45-61 日中、急に太陽が光を失い、あたりが暗くなってきたら、驚くでしょうか。日蝕だとわかっていたら、むしろ関心をもってどうやって観察しようか、と行動するかも。 でも、3時間も暗い時間が続いたら、異常事態に不安を感じるはず。 もし、地球全体が闇に包まれたとしたら、何があったのかと、世界中で大騒ぎになっていたはず。 西暦30年4月7日だったと推定されています。 その日、エルサレムの全天が3時間にわたって暗くなりました。 あ、全天ではなく、全地が、でした。

髑髏(されこうべ)の場

マタイ27:32-44 日常生活圏に「されこうべの場」という名前がついている所があったら、あまり近寄りたくない場所というイメージです。 1998年、インドネシアで私たちの通勤途上の道沿いで起きた「呪い師AS事件」の現場は、一時期、観光地のようでした。呪い師が次々と殺していた人の白骨体が、見つかっただけで40体以上。現場検証で掘り出された頭蓋骨を手にして記念撮影をする「観光客」と、その客目当ての屋台や臨時駐車場が周辺に急増。 今から2000年前に十字架刑が行われていた場所

何がホント?

マタイ28:1-8、11-15 昨年はフェイクニュースという言葉が流行りました。 動画でも本物に全く似せたものが作れるそうで、ホントかどうか、確かめられるだけ確かめないと、アブナイ。 2000年前も事情は同じだったみたい。人間やること、そう変わらない感じですね。 イエス・キリストを抹殺したつもりでいた宗教家たちが、イエス・キリストの墓が空になったことをどう説明するか。。。 さて、安息日が終って、週の初めの日の明け方に、マグダラのマリヤとほかのマリヤとが、墓を見にきた

喜びのあいさつ

マタイ28:1-10 朝起きて、最初に出会う人にあいさつをする時、どんな気持ち?普通?それともうれしい? 何人かの女性たちにとって、この日曜日は特別でした。特別な人とあいさつを交わしたのですから。  さて、安息日が終って、週の初めの日の明け方に、マグダラのマリヤとほかのマリヤとが、墓を見にきた。 すると、大きな地震が起った。それは主の使が天から下って、そこにきて石をわきへころがし、その上にすわったからである。 その姿はいなずまのように輝き、その衣は雪のように真白であった。

極刑と恩赦

マタイ27:11-31 罪に対する刑罰は当然。その最も重いのが「極刑」と言われる死刑。論争はあるけれど、被害者の家族の心情からしたら、それを求めるのも無理はないなぁ、と思えるのも確か。 命には命、目には目、歯には歯、、、償わせなければならないと定められているのが旧約の律法です。 でも、イエス・キリストの命を強硬に求めた宗教家たちは、自分たちが何か被害を受けたからと極刑を要求したのではありませんでした。 神の真理にではなく宗教の伝統に根ざしてしまっていたための、キリスト