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極刑と恩赦

マタイ27:11-31

罪に対する刑罰は当然。その最も重いのが「極刑」と言われる死刑。論争はあるけれど、被害者の家族の心情からしたら、それを求めるのも無理はないなぁ、と思えるのも確か。

命には命、目には目、歯には歯、、、償わせなければならないと定められているのが旧約の律法です。

でも、イエス・キリストの命を強硬に求めた宗教家たちは、自分たちが何か被害を受けたからと極刑を要求したのではありませんでした。

神の真理にではなく宗教の伝統に根ざしてしまっていたための、キリスト誤解に基づく求刑。

当時、ローマ帝国の支配下にあったユダヤ人は、公的な極刑の行使権がありませんでした。それで、ローマ帝国の裁判に持ち込む必要があったのです。ちょうど、恩赦が行われるべき時期の裁判で、裁判官を務める総督は、イエスを恩赦にしようと努めますが。。。

 さて、イエスは総督の前に立たれた。すると総督はイエスに尋ねて言った、「あなたがユダヤ人の王であるか」。イエスは「そのとおりである」と言われた。 しかし、祭司長、長老たちが訴えている間、イエスはひと言もお答えにならなかった。 するとピラトは言った、「あんなにまで次々に、あなたに不利な証言を立てているのが、あなたには聞えないのか」。 しかし、総督が非常に不思議に思ったほどに、イエスは何を言われても、ひと言もお答えにならなかった。
 さて、祭のたびごとに、総督は群衆が願い出る囚人ひとりを、ゆるしてやる慣例になっていた。 ときに、バラバという評判の囚人がいた。 それで、彼らが集まったとき、ピラトは言った、「おまえたちは、だれをゆるしてほしいのか。バラバか、それとも、キリストといわれるイエスか」。 彼らがイエスを引きわたしたのは、ねたみのためであることが、ピラトにはよくわかっていたからである。 また、ピラトが裁判の席についていたとき、その妻が人を彼のもとにつかわして、「あの義人には関係しないでください。わたしはきょう夢で、あの人のためにさんざん苦しみましたから」と言わせた。
 しかし、祭司長、長老たちは、バラバをゆるして、イエスを殺してもらうようにと、群衆を説き伏せた。 総督は彼らにむかって言った、「ふたりのうち、どちらをゆるしてほしいのか」。彼らは「バラバの方を」と言った。 ピラトは言った、「それではキリストといわれるイエスは、どうしたらよいか」。彼らはいっせいに「十字架につけよ」と言った。 しかし、ピラトは言った、「あの人は、いったい、どんな悪事をしたのか」。すると彼らはいっそう激しく叫んで、「十字架につけよ」と言った。
 ピラトは手のつけようがなく、かえって暴動になりそうなのを見て、水を取り、群衆の前で手を洗って言った、「この人の血について、わたしには責任がない。おまえたちが自分で始末をするがよい」。 すると、民衆全体が答えて言った、「その血の責任は、われわれとわれわれの子孫の上にかかってもよい」。 そこで、ピラトはバラバをゆるしてやり、イエスをむち打ったのち、十字架につけるために引きわたした。
 それから総督の兵士たちは、イエスを官邸に連れて行って、全部隊をイエスのまわりに集めた。 そしてその上着をぬがせて、赤い外套を着せ、 また、いばらで冠を編んでその頭にかぶらせ、右の手には葦の棒を持たせ、それからその前にひざまずき、嘲弄して、「ユダヤ人の王、ばんざい」と言った。 また、イエスにつばきをかけ、葦の棒を取りあげてその頭をたたいた。 こうしてイエスを嘲弄したあげく、外套をはぎ取って元の上着を着せ、それから十字架につけるために引き出した。

1.「ユダヤ人の王」の裁判

ユダヤ教指導者たちの訴えは、本当は宗教規則を破り、神を冒涜した罪でした。けれども、ローマの法廷にはその訴えでは通用しません。政治的な犯罪者として訴えなければ、取り上げられないのです。

そのため、罪状は「ユダヤ人の王」になったのでした。

当時、ユダヤ人の多かった地域での「領主」は認められていても、「王」は認められませんでした。ローマ帝国の意に反して、自らを「王」と主張している、となると、反逆罪になり得るわけです。

総督ピラトの問いかけに、イエス・キリストは「そのとおり」と答えます。神が遣わした、神の国の「王」であることは確かです。ピラトも、イエス・キリストの態度を見ながら、その言葉に政治的な反逆罪を認めませんでした。

何も反証しない態度。普通なら、無罪を主張して戦うはずです。それがない。

諦めや抵抗の黙秘ではありませんでした。むしろ、積極的に、一切の事の流れに身を任せてのことだったと思われます。天の父のみ心のままになるように、と、油絞りの園で祈ったとおりでした。

さらに、700年の歴史をさかのぼって、書かれ、伝えられていた預言がありました。

イザヤ書 53:8-12
彼は暴虐なさばきによって取り去られた。 その代の人のうち、だれが思ったであろうか、 彼はわが民のとがのために打たれて、 生けるものの地から断たれたのだと。
彼は暴虐を行わず、 その口には偽りがなかったけれども、 その墓は悪しき者と共に設けられ、 その塚は悪をなす者と共にあった。
しかも彼を砕くことは主のみ旨であり、 主は彼を悩まされた。 彼が自分を、とがの供え物となすとき、 その子孫を見ることができ、 その命をながくすることができる。 かつ主のみ旨が彼の手によって栄える。
彼は自分の魂の苦しみにより光を見て満足する。 義なるわがしもべはその知識によって、 多くの人を義とし、また彼らの不義を負う。
それゆえ、わたしは彼に大いなる者と共に 物を分かち取らせる。 彼は強い者と共に獲物を分かち取る。 これは彼が死にいたるまで、自分の魂をそそぎだし、 とがある者と共に数えられたからである。 しかも彼は多くの人の罪を負い、 とがある者のためにとりなしをした。

天の父、神のみ心ははっきりしていたのです。

ユダヤ人の王として、暴虐なさばきを受けること。多くの人の罪を負って、死を受け入れるのです。

2.恩赦

さて、総督が与える特別な処置の制度がありました。

刑期を終えて、晴れて赦されて解放されるのとは全く違う赦し。恩赦です。

極刑に、刑期を終えて、というのはあり得ません。「死」が刑なのですから。

イエス・キリストに罪を認めなかったピラトは、訴えを退ける方法でではなく、恩赦によってイエスを解放しようとします。ユダヤ人を退け、排斥するような対処は取りたくなかったようです。政治的安定が、ピラトには重要なことだったからです。

ピラトがイエスを解放したい理由は、罪が認められないだけではなく、ピラトの妻の夢のせいもありました。さんざん苦しんだ悪夢を見たことがピラトに伝えられます。同時に、イエスを「義人」だと明言します。

神秘的な事柄に包まれているイエス・キリストに、酷い仕打ちをしたら、何か自分に悪い事が帰ってくる、とピラトに恐れが生じていたのかもしれません。

そしてピラトの見立てでは、ユダヤ人たちがイエスを殺したがっている本当の理由は、ユダヤ人の妬みでした。そんな事で一人の義人を十字架刑にすることは良心が許しません。

ただし、赦されるのは一人だけでした。評判の囚人バラバが別にいて、集まってきた群衆は宗教家たちに扇動されてバラバの解放を要求し始めます。もう、理由も何もありません。イエスを殺せ、の一点張り。

暴動になってはピラトにとって最悪。総督の地位を失う可能性もありました。

それで、ピラトは良心より現実の保身を優先します。

ユダヤ人も、「その血の責任は、われわれとわれわれの子孫の上にかかってもよい」と強弁でくくったのでした。

この時から40年後に、エルサレム神殿が破壊され、ユダヤ人がエルサレムから追放されることになるとは、彼らには思ってもみないことだったのです。

そして、イエス・キリストが十字架にかけられて死ぬことが、人類への神の犠牲に基づいた特別な恩赦のためだということも、この時点ではだれもわかっていなかったことでした。

こうして、「暴虐なさばき」は終わります。

3.ナグサミモノによる慰めと平安

裁判が終わって刑場に引き出されるとき、イエス・キリストは兵士たちに弄ばれます。

赤い外套、いばらの冠、葦の杖を与えて、「ユダヤ人の王」をナグサミモノとします。兵士たちにとっては、イエスは、たんに死刑を宣告されたユダヤ人にすぎません。イエス・キリストも完全に無抵抗で、なすがままに任せます。

総督ピラトは、イエスが訴えに対して全く弁護しなかったことを驚いていましたが、兵士たちはどうだったのでしょう。鞭打ちでからだがボロボロにされ、何の抵抗もせずにオモチャにされるがままの人間。間もなく裸にされ十字架につけられ、さらされて、死の苦しみを何時間も味わう人間には、このくらいのことは序の口にもならない、と思っていたかもしれません。一時的な慰みでしかなかったのです。

しかし、後に、「百卒長」という、百人の兵士を取りまとめる人物と、一緒に十字架刑場の番をしていた人たちが、イエス・キリストについて語る場面がでてきます。

「まことに、この人は神の子であった」
 マタイによる福音書27章54節

一時のナグサミモノとして遊ばれたイエス・キリストが、すべての人に心の癒しと平安を与えることができる方であることを、弟子たちも誰一人、この時はまだ知りませんでした。弟子たちは、まだ少年だったと思われるヨハネ以外、十字架刑場には来ることすらできなかったのですから。

総督の邸宅から刑場へ、イエス・キリストがこの時にエルサレムにやってきた目的が実現せられる場へと進んでいきます。


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