見出し画像

何がホント?

マタイ28:1-8、11-15

昨年はフェイクニュースという言葉が流行りました。

動画でも本物に全く似せたものが作れるそうで、ホントかどうか、確かめられるだけ確かめないと、アブナイ。

2000年前も事情は同じだったみたい。人間やること、そう変わらない感じですね。

イエス・キリストを抹殺したつもりでいた宗教家たちが、イエス・キリストの墓が空になったことをどう説明するか。。。

さて、安息日が終って、週の初めの日の明け方に、マグダラのマリヤとほかのマリヤとが、墓を見にきた。 すると、大きな地震が起った。それは主の使が天から下って、そこにきて石をわきへころがし、その上にすわったからである。 その姿はいなずまのように輝き、その衣は雪のように真白であった。 見張りをしていた人たちは、恐ろしさの余り震えあがって、死人のようになった。この御使は女たちにむかって言った、「恐れることはない。あなたがたが十字架におかかりになったイエスを捜していることは、わたしにわかっているが、 もうここにはおられない。かねて言われたとおりに、よみがえられたのである。さあ、イエスが納められていた場所をごらんなさい。 そして、急いで行って、弟子たちにこう伝えなさい、『イエスは死人の中からよみがえられた。見よ、あなたがたより先にガリラヤへ行かれる。そこでお会いできるであろう』。あなたがたに、これだけ言っておく」。 そこで女たちは恐れながらも大喜びで、急いで墓を立ち去り、弟子たちに知らせるために走って行った。……….
女たちが行っている間に、番人のうちのある人々が都に帰って、いっさいの出来事を祭司長たちに話した。祭司長たちは長老たちと集まって協議をこらし、兵卒たちにたくさんの金を与えて言った、
「『弟子たちが夜中にきて、われわれの寝ている間に彼を盗んだ』と言え。
万一このことが総督の耳にはいっても、われわれが総督に説いて、あなたがたに迷惑が掛からないようにしよう」。
そこで、彼らは金を受け取って、教えられたとおりにした。そしてこの話は、今日に至るまでユダヤ人の間にひろまっている。
マタイによる福音書 28:1-8, 11-15

1.空の墓

空っぽの墓は、誰が見てもカラッポ。噂は噂を呼び、観光地になってしまう可能性もあるできごとでした。

でも、なぜ、イエス・キリストの墓がそんなことになったのか。

墓に来ていた女たちは、御使いの話を聞き、さらに、イエス・キリストに会います。弟子たちにもやがてはっきりします。イエス・キリストが彼らと一緒に食事までしたのですから。

イエス・キリストを十字架で殺すように仕向けた宗教家たちは、墓の番兵をも総督ピラトに頼んでいました。もともと復活を宣言していたイエス・キリストの言葉に心配していたのです。本当に復活するとは思っていなかったでしょうが、弟子たちが死体を盗み出して「復活した!」と言いふらすことのないように、でした。

その番兵たちが、逃げ出して、祭司長のところに駆け込んできます。どのように報告したのかの詳細は記録されていませんが、確かなことは、墓が空っぽになった、という事実でした。

2.墓が空になったわけ....

でも、その説明は、どうにでもできる、と、祭司長やユダヤの長老たちは考えたようです。事の目撃者は、番兵の他には数人の女性たちだけであって、当時は、女性は公の証人にはなれなかったからです。

番兵をつけることを許可した総督への説明も、祭司長たちはなんとかなる、と確信していたのです。公開で行われたイエス裁判ですら、彼らの声を押し通して、思い通りにできたのですから。

番兵たちは、寝ている間にイエスの弟子たちが死体を盗み出した、との証言をするように指図されます。本来なら、業務怠慢で、ローマ帝国の規則では死刑にでもされてしまう可能性がある内容です。番兵たちはそれを恐れて、すぐには首を縦には降らなかったでしょう。それで、大金を兵卒に与えます。総督はちゃんと言い込めておくから、と。

今、この記事を読む私たちは、ちょっと困惑。いったい、どちらがほんとうなのだろうか、と。天使がイエス・キリストの墓をこじあけたら、中はすでに空っぽだった、という女性たちの話か。ローマの兵卒で墓の番をしていた者たちの話か。

そもそも、マタイが書いている祭司長や長老たちの話し合いの内容を、マタイは知ることができていたのだろうか、という疑問もでてきます。それこそ、説明はいろいろと考えられるでしょう。番兵たちの中で良心の咎めを覚えたものが、後日キリストを信じる者になった、とか、長老たちの仲間の中でキリストにつく者がいたから、だとか。実際、長老のアリマタヤのヨハネやニコデモは、キリスト派だったのです。

3.言い伝えの信憑性

2000年前の言い伝えが本当かどうかを確かめることは、難しいことです。

2世紀に活動していた「殉教者ユスティノス」の著述にも、ユダヤ人があらゆるところにメッセンジャーが送り込まれ、祭司長たちの話が伝えられている、との記事があるそうです。

「弟子たちがイエスの死体を盗んだ」のか、イエス・キリストは復活したのか。

一番弟子のペテロが、イエス裁判が行われている大祭司の邸宅で「イエスは知らない、自分は関係ない」と言ったすぐあとに、弟子たちを引き連れて番兵が寝ている間に重い墓の蓋石を押しのけ死体を持ち出した、とも、考えにくいところです。

では、イエス・キリストの復活はホントだったのか。

歴史上でただ一度しか起きなかったことは、証言の記録の信ぴょう性をどう判断するか、にかかっているとしか言えません。それも、神がかかわる出来事についてはなおさら。

しばしば、黒を白だと思うことも「信仰」の性質のように言われるのですが、事実からかけ離れた真実はない、と思います。

だいたい、からだから魂が抜けてしまったら、それこそが「死体」です。事実から抜け出した真実と呼ばれるものは、死体に等しいものにしか思えません。

私には、ヒトが良すぎる神さまが、罪びとのすべての過ちを負ってくれて、処分しつくしたあとで「復活!」、という記録のほうが「推し」です。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?