最後に笑うのは「思考」なのか?

どんな状況でも「考え方ひとつ」で状況を逆転させることができると思っています。

身近なところで言えば体調不良でコンディションが芳しくない時。こういう時はダルいし、何やってもミスしそうになるし、そもそも動けないですよね。ただ、自分の中で「本当に何もできないのか?」という問いを作っておけたら、意外とどうにかなるものです。

結局、だらけてしまうのは甘えだったりします(いや、本当に動けない時は存在しますし、そこはちゃんと休むべきだと思います)。人間、何かと言い訳を作って、自分で限界ラインを決めてしまいますから。

僕の好きな言葉(というか座右の銘)のひとつにこんな言葉があります。


「ダメならダメでいい。ただ、努力の足りなさを他の何かのせいにはするな」


辛い時に毎回自分に投げかける言葉です(元ネタはちゃんとあるんですが今回は割愛します)。


インフルエンザで42度オーバーの時も、コロナで地面を這いずり回っていた時も、上司に問い詰められた時も、なんならいろんなことに首を突っ込みすぎてクビになりかけた時も。どんな時も、嘆いても状況は変わらないわけです。だったら今できることをきちんとやっておく。結果で判断されるだけだ、と思っています。

よく「人事尽くして天命を待つ」という言われ方をしますが、それに近いものがあります。ちょっと感覚的に違うのは「ダメならダメでいい」という保険をかけているところ。これによって「とりあえずグダグダ言ってないでやってみるかー」という気になります。


肝心の結果ですが、うまくいく時もあれば、当然ながらダメなときもあります。でもそれはあくまで「結果」でしかないわけで。周りは結果でしか判断しませんが、自分の中では「そこまでに至った過程」も残っています。その過程は、ブロックのように何層にも積み重なっていきます。いつしかそのブロックタワーは、ジェンガのようにひとつふたつ引き抜かれたくらいじゃ「で?それがどうかしたか?」とでも言わんばかりの安定性を誇ります。


メンタルがブレブレの人は、結果だけにフォーカスしがち。試験本番で緊張しまくって実力が出せないタイプの人もそれ。受かるか落ちるかしかみていない。僕の場合、ある意味現実逃避もあったかもですが「受かるのは前提。問題はどこまで楽をして受かるかだ」と考えていたので、直前の詰め込みはコスパが悪いと判断。普段から習うことを先回りしてチェック、習ったことをコツコツやるタイプでした。もう、結果なんて見ていないですよね。楽することばっかり考えてました笑


でもそれくらいでちょうどいいんです。楽しようとしたからといって手を抜くわけではない。むしろ最小の努力で最大の結果を出そうとしているので、ガムシャラにやるより実は茨の道なんです。それもこれも「思考」が可能にしていると思っています。


精神論かもしれませんが、目の前のことを全力でやる美学も好きです。ただ他の捉え方として「考え方を変えて、手法を探ってみる」というのもひとつの戦術です。


僕の本業でもある臨床検査技師の国家試験も近づいてきました。なので、たまにはこんなメンタル論もいいかと思って書いてみました。

Xでも似たようなことをポストしたので、そちらも見てみてくださいね!


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