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そうだったのか、と慣れの力強さ

横を見れば身体が痒いのか、音を立てて皮膚を掻いている子どもがいる。やめなさい、と言いたくなるものの、気持ちよさそうな寝顔なのでやめておこう……と思いながら、このnoteを書いている。

見出し画像はここ最近お知らせで飛んできたもの。どうやらマガジン購入が35回以上になったようだ。僕のマガジンは1200-5000円の価格帯で販売している。これに加えて単品noteがたぶん300部は売れているはず(確認する手間がもったいないので数えていない)なので、無名なnoterでもここまでできるもんだと、同志である世の凡人たちもに勇気を与えられるのではないかと思っている。

さて、久しぶりのスマホのみでのnote更新である。ポメラを手に入れてからはポメラで書いた文章をSDもしくはQRコードでiPhoneへ取り込み、コピーして、noteアプリのエディタへペースト。これが一連ののルーティンになっていた。

傍から見るとえらい効率の悪そうなステップでも、いざやってみるとそうでもない。誤字脱字には気づきやすいし、論理破綻を起こしている文塊にも気づく。カレーは一晩寝かせろとはよく言ったものだけど、文章でも同じことが言えそうだ。

「書くこと」が習慣化された今でも毎日更新はやめていない。なんか、辞めたらいけないような罪悪感があるのか。もしここでやめてしまったら、何かが崩れ落ちそうな気もする。別にnoteに人生かけているわけじゃない。アウトプットするひとつのツールでしかないわけだけど、ひたすらに狭い稜線を綱渡しているような感覚もある。

強迫観念ともちょっと違うし、これを言語化するのは難しいけれど、とにかく更新することは辞めてはいけない、1日もだ、という感じでは捉えている。

果たしてこのnoteで何が言いたいのか?

それは「いくら高熱出してようが、家事を強制されようが、仕事たんまり抱えてベッドの中から吐きそうになりながらスマホでメール対応してようが、アウトプットはできるようになる」ということ。これが習慣化のチカラなのである。

コロナ含めても数年振りの激烈な体調不良に見舞われているわけだけど、指はなんとか動くので、ポメラのある場所まで辿り着けなくても、布団に包まりながらもnoteを更新できている。

早いところ、体調を元に戻して、いいコンディションで仕事がしたいものだ。いくら頼りないとはいえ、リーダーが欠いている状態を長引かせるわけにはいかない。存在することが大切なときだってある。睨みを効かせるみたいな。

久しぶりにスマホで書いたので疲れた。
寝よう。まずは寝よう。

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