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派手にくたばれ、残される苦しみは知らずに『サイバーパンク: エッジランナーズ』


概要

2020年発売のゲームCyberpunk2077と同じ近未来都市ナイトシティを舞台とする作品。
テクノロジーと人体改造が一般化した巨大都市で、多くの犠牲を払い困難を乗り越えながらアウトローの傭兵――
すなわちサイバーパンクの道を歩んだ少年の物語を追う、10話構成のオリジナルアニメーションシリーズ。

ピクシブ百科事典より

原作であるゲームのCyberpunk 2077の過去を舞台としたNetflix独占のアニメシリーズである本作、たった10話でありながら滅茶苦茶な衝撃を与えられ、視聴後のロスが半端ではないので、感想だけここで駄弁りたいと思います。

ちなみに原作ゲームは発売当初にプレイ済み。
バグや処理落ちがめっちゃあるPS4版でプレイしていましたが、不満はあれど結構好きなゲームです。
そもそもエッジランナーズを観たのも、もうすぐ来るゲームのDLCに向けてPS5版で最初からやり直そうと思って、そのついでくらいの気持ちでしたが…

見事に作品の熱量に圧倒されてこうやって吐き出さずにはいられなくなったわけです。

まず未視聴勢に向けてネタバレなしで

最初に、まだエッジランナーズを観たことのない人に向けてネタバレなしでこの作品を宣伝しよう。

ネトフリ独占、エログロあり、サイバーパンク、専門用語と、人を選ぶ要素は色々あるが、全部ひっくるめてこの作品は傑作だ。
私もそこまでアニメをたくさん見ているわけではないし、お勧めする作品は結構無難なものを選ぶ人間だが、それでもこの作品は万人に観てもらいたい。
刺さる人刺さらない人いるだろうが、それ抜きにしてとにかくたくさんの人にこの作品を知ってほしいし、この作品を好きになってほしい。

シナリオも演出も音楽もすべてが高水準で、たった30分尺×10話のボリュームとは思えないほどの濃密な体験をさせてくれる。
そして観終わった後には、思わずため息を漏らして感嘆してしまう。あのシーンの音楽を探してしまう。あの表情をもう一度観たくてリピートしてしまう…
そんな後を引く唯一無二の世界を提供してくれる作品だ。



さて、ではこの後の感想はネタバレありですので未視聴の方はお気をつけて


覚悟はできてる

最初からネタバレしますが、ハッピーエンドにならないことなんて最初から覚悟していました。
そもそもSF、それもサイバーパンクで誰も死なずにハッピーエンドなんてありえないので。
だから死亡フラグが立とうと立たまいと、もう片っ端から死んでいくくらいにキャラが死んでいくだろうくらいの覚悟で観始めました。

結果その覚悟は無駄にならなかったわけですが、通して観るとそれぞれのキャラクターの死が全部印象的で、まさしくナイトシティに名を遺す死に方をしていった彼らの死に際が最高に輝いていました。

華々しく命を散らせた彼らですが、一方でその死は結構リアルに引きずっているのも、残された者たちの記憶や、考え方に影響を与えていることを感じさせてくれます。
例えば1話の交通事故で亡くなった、デイビットの母親グロリア。母親の死をあっさりと告げられたデイビットは放心し、作中ではそのことに涙を流すこともなく、母親から託された夢を物語終盤までずっと引きずっていくことになります。
よくある演出だと、しばらく放心した後に何かがきっかけでわっと泣き出したりしそうなものですが、安易にそうしないところが他の作品と一線を画するところかと思います。

エッジを超えるしかなかった男

物語後半は、チームのボスだったメインを失ったデイビットがその跡を継ぐように、メインの腕を継ぎ、サンデヴィスタン以外のサイバーウェアも大量にインストールしまくった姿に変わる。
チームのリーダーとして仲間からの信頼を集める一方で、しかし精神的には過去のトラウマと、サイバーサイコシスの予兆に苦しめられるデイビットの姿は、まるで子供だった頃の序盤から失ったものの大きさを感じさせて苦しくなる。

どうしたって避けられない破綻が見えていながらも、デイビットがリーダーを張って名を売って金を稼ぐのは、もはやルーシーを月に連れていくという夢以外の理由はなかったのだろう。
一方でルーシーも、変わっていくデイビットに死の影が差していることもなんとなく察していたのではないだろうか。
どん詰まりの行く末が見えていながらも二人があがくのには、金を稼ぐにはナイトシティにいるしかない、金を稼がなければナイトシティでは生きていけないというジレンマがあった。

この点、ゲームの方の主人公は特殊なチップがあるとはいえ、どんなサイバーウェアをインストールしてもサイバーサイコにならないので、緊迫感やサイバーウェア/人間性の天秤についてはアニメの方がよく描けていたと思う。

そして終盤、騙された形とはいえ、デイビットはサイバースケルトンをインストールするためについに四肢まで失う。
崖っぷちに立たされた彼は、エッジを超えるしかなかった。
エッジを超え、完全に兵器となってしまったデイビットに対して、レベッカやファルコたち仲間も半ば彼の命を諦めながらも、最後まで彼の夢を叶える――囚われたルーシーを助ける――ため、ミリテクやアラサカ、そしてアダム・スマッシャーと対峙する。

はじめは苦労して学校に通うガラの悪い学生くらいだったデイビットが、サンデヴィスタンを身に着け、アラサカに目を付けられ、ルーシーに惚れて、仲間を失い、それでもデイビット自身がどうなりたいかの夢はずっと持てなかった。
そして最後は、ルーシーだけでも月に連れていくために、自分の身を挺して笑って死んでいく。とっくに月など二の次で、ただデイビットを守りたかったルーシーの気も知らないまま。
デイビットが母親から夢を託されるのを嫌がったように、結局彼もまたルーシーに夢を託してしまった。だがそうするしかなかった。デイビットはルーシーの夢を自分の夢にするしかなかったのだ。

ルーシーは最後、本物の月へ降り立つ。
そして守りたかった温もりの代わりに彼女は太陽の光に抱かれる。

あのときの音楽を何度もリピートしている

あまりに良すぎる作品の曲は、何でもないときに聞いても思わず作品が思い出されてうるっときたりする。
本作の印象的なシーンでも流れた『I Really Want to Stay At Your House』もまたその一曲になった。

このほかにも、ナイトシティの日常シーンで流れる『Who's Ready for Tomorrow』や、メインがデイビットに「走り抜けろ」と語りかけるシーンの曲『Żurawie』などもまた、忘れがたい曲となった。

先述の『I Really Want to Stay At Your House』などは元々原作ゲーム内のラジオで流れていたはずだが、そんなほとんど気に留めることのなかった曲がここまでの意味を持つことになるとは思っていなかった。

本作を彩る数々の曲と、色鮮やかでダイナミックな演出が、この作品の熱量がいかに大きいかを感じさせる。シナリオだけではなく、映像作品としての見応えにも優れている。

また、そもそもサイエンス・フィクションというジャンル自体、単なる舞台装置としてシナリオと直接の関係がなくなりがちな作品も多い中で、サイバーウェアと人間性の天秤や、企業が牛耳る都市の閉塞感という、SFでなければ描けないテーマを描いていたという点でも貴重な作品だ。


まだまだ書こうと思えば書けることもあるが、そろそろ取り留めもなくなってきた感もあるので一旦ここで筆を置くとしよう。

ともかくこの作品に出会えたことが本当に良かったと思う。
今まで観た映像作品の中で五本の指に入ると言って過言でない。

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