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クリエイターという存在

あんたは今日もnoteを楽しんでいるかい?

俺もぼちぼちと人様のnoteを見ながら自分の中の言葉を拾い上げるビーチコーミングならぬ、noteコーミングをやっている。

noteという莫大な情報の中から自分の感覚を刺激してくれる記事に出会うと結構嬉しいもんだよね。

今回は、俺の中にある「?」を刺激してくれた記事に触れながら、その「?」を紐解いていく回だ。

まあ、なんのことやらさっぱりだけれど、付き合ってくれよな。

『創作』とは何者なのか?という問

今回、俺に刺激をくれたのはちゃこさんによる以下のnoteだ。

なんか、この人の文章、気になる。
なんか、こう、自分の一部を切り出したような文章でありながら、なんにも悲壮感がない。

きっとちゃこさん自身がとっても健全な精神の上に自己を成り立たせているような人なのかな?

そのちゃこさんのこの文章が俺を捕まえた。

みんな、どう定義づけしているんだろう。
クリエイターの皆さんはそれぞれ「自分は何をクリエイトしている」という認識なのか。それがすごく気になるなあ。
出展:上記note

これって、noteで記事を書いている全ての人々への問いかけだよな?

うーし。なら、俺もこの問に答えなきゃいけないってもんだよな。

『創作』を自分がしているのか?

ぶっちゃけ「クリエイト」を自分がしているのか?というと、たしかに自信がないような気もするし、いやいや創ってるし!という感覚もある。

この「あんたに向けたつぶやき」マガジンに混ぜている記事は、俺がオモロイと感じたことをそのままに「あんた」に語りかける表現で書いている。

そこには語りかけるようにという手段で、自分の感じたことを伝えるという「クリエイト」があると思っていた。

でも、それっておまいが感じていることを文章にしただけだろ?って言われてしまうと、じゃあ、本当の意味での「クリエイト」って何なのよ?と言う問に答えられなければならなくなるよな。

まずはウィキペディア先生に聞いてみよう。
創作という単語について確認してみた。

創作(そうさく)
1. それまでに無かったものを新たにつくり出すこと。 用例として「新式の工具を―する」「博士が―したのは、発見した天然物質Aを元に人為的分離に成功した化学物質αであった」
日本の特許法第2条第1項によれば、「発明」に至る条件の一つであり、新しいことをつくり出すこと、自明でないことをいう。何も作り出さない「発見」とは区別される。
⇒ 発想、発明、創造、開発
2. 主体的創造力によって独創的作品をつくり出す(創り出す、創出する)こと。また、その作品。 用例として「物語を―する」「―舞踊」
⇒ 発想、創造、オリジナル、フィクション
⇒ cf. 二次創作
3. 事実でなく想像によってつくり出すこと。作り事。嘘。用例として「苦しまぎれに遅刻の理由を―した」
⇒ 欺瞞、嘘、フィクション
出展:wikipedia

なるほど。独創的ってのがキーワードとしてありそうだな。

例えば、料理を作ることは「クリエイト」か?
新しいレシピを作り上げることはもちろんクリエイトだろう。
でも、レシピ通りに料理をするというのはクリエイトではなく、作業ってことになるんだろうね。

で、あらためて自分の文章について考えてみる。

要するに俺の文章が「独創的」なのか?ってことだよな。
その意味で言えば、俺のような自分の感じたことをそのまま文章にするタイプのnoteはわりとこの「独創的」って分類になるんじゃなかろうか?

このnoteにしたって、もとはちゃこさんの記事を読んだことによって書き始めたわけだけれども、ちゃこさんの記事の丸パクってわけじゃない。
ちゃこさんのnoteに刺激を受けた俺の感覚をそのままnoteにしているってことになる。

ちゃこさんの文章は「独創的」か?

で、もとのちゃこさんのnoteについても考えてみる。

ちゃこさんの「クリエイト」に対する感覚は0から生み出されたものってポイントで語られている。

それはそれで、言葉の定義としてきっと正しい。

ポイントは何を持って0とするかってことだよな?

ぶっちゃけ、0という基準はヒトの間で共有出来るものでは無いのかもしれない。
いわゆる特許のようなものでなければ「クリエイト」ではないとするような厳密な感覚もあるとは思うが、俺の感覚だともっと「クリエイト」は俺たちの生活の中に溶け込んでいるもののように感じられるんだよね。

俺たちは、多くの事柄を知らない。

それは俺たち各々が多くの「0」を持っているってことなんだよな。
読む人によって「0」が異なるってことになる。

そうだとすれば、ちゃこさんの文章で俺が得たものは俺の「0」を刺激したってことに違いないと思うんだよね。

つまり、俺にとってちゃこさんの文章は「独創的」だったってことだ。

クリエイターって存在

そうなってくると、「クリエイター」ってなんなんだろう?

答えは「知らないことを知らせてくれるヒト」ってことになる気がする。

俺たちヒトは無知の知というパンドラの箱の底に眠っていた希望を手にすることで爆発的な進歩を遂げた。

コロンブスの新大陸発見もそうだし、産業革命もそうだ。

「俺たちはなんにも知らない」ということを知ることで、飽くなき発展をとげてきた。

クリエイターってのはその「希望」を提供するための存在なのかもしれないだ。

あんたはどうだい?

クリエイターとして、誰かに求められるヒトになりたいかい?

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