俺たちの中にいるヒーローとヴィラン
あんたも電車の中でタバコを吸っているのを注意した高校生がボコられたってニュースを見たかい?
その暴行の様子を移した動画みたいなものも公開されているけれど、実に見ていて気分が滅入る感じがしたんだよな。
なんで、このヒトは電車の中でタバコを吸いたいって思ったんだろう?
なんで、タバコを吸うことを高校生は注意しようと思ったんだろう?
そして、なんで、俺はこのタバコを吸ったヒトと高校生の両方に憐れみを感じているんだろう?
今回はこの事件に登場するヒトたちについて俺が想像を働かせてみる回だ。
どこでなんの歪が生まれたのか、ちっと考えてみようぜ。
電車の中でタバコを吸うって行為
まず、俺たちの感覚の整理からしてみよう。
この言葉を使うことは抵抗を感じるけれど、「普通」は電車の中でタバコは吸わないじゃんか。
どうも吸っていたのは電子タバコなので、いわゆる副流煙がもうもうとするって状況ではなかったらしいけれど、それでも今の御時世ではタバコはもとより、マスクをしていないだけであーだこーだ言われる世の中だ。
俺らがガキンチョの頃は、普通に電車の中でタバコを吸えるような路線もあったらしいけれどね。
俺自身はその光景を目の当たりにはしていなかったんで、ちょっと想像が出来ない感じがする。
で、電車の中でタバコを吸ったヒトはこの「普通」に意図的に逆らったってことなんだよな。
なんで、「普通」に抵抗したんだろう?
捜査の結果を待つしか正解にたどり着く方法はないんだろうけれど、きっとこのニュースの顛末をキッチリ俺たちが知ることはないだろう。
そう言う細かい部分について取り上げる事ができるほど、マスコミに余力がないだろうしね。
なので、この電車でタバコを吸うという「普通」への抵抗の意図を俺たちは想像していくしか無いんだと思うんだ。
敵という存在
俺らがガキンチョの頃はいわゆる不良ってのが日常の中で存在していた。
マンガを始めとする娯楽の中にも不良ってジャンルが確立していたよな。
ビー・バップ・ハイスクールとか。特攻の拓とか。
「大人は判ってくれない」みたいな、今となってはカビが生えてんじゃないのってくらいのセリフが跋扈していた。
わかってくれないのは大人じゃなくて、自分以外のヒトみんなだってことをネットは俺たちに嫌ってほどわからせたので、「大人」って言うスケープ・ゴートを使うことにリアリティが無くなったせいなんだろうな。
そうなんだよ。俺たちはいつだって不満を抱えていて、その不満をぶつける「敵」が必要だったんだ。
ところが、今という時代ではその不満を受け止めてくれる「敵」ってのが「仲間」以上に作りにくい状況になっていると思うんだ。
正義と敵
電車でタバコを吸ったヒトはもしかしたら「敵」が欲しかったのか?
だとしたら、なんて寂しい話だ。
その「敵」として「電車でタバコを吸うのはダメですよ」って正義を掲げた高校生が立候補してしまったって話だもんな。
「正義」って感覚が危ういって話は別のnoteでも書いている。
今回の高校生の「正義」は「普通」って言うバックボーンを背負ったものだったと思う。
「普通」は電車でタバコを吸わないよねってバックボーンだ。
それでも高校生のヒトは「タバコを吸うのをやめてもらえませんか?」という依頼の形で関わっていったことを考えると、ものすごく考えての行動だったんじゃないかって想像出来る。
それでも「正義」は「敵」になってしまった。
本当にこの「正義」ってやつは扱いが厄介なものなんだよな。
ネットによって個人の価値観がバラバラになってしまっている今という世界では誰でも「ヒーロー(正義)」でありながら「ヴィラン(悪)」でもある。
電車でタバコを吸うヒトとそれを注意するヒトが生み出した悲劇。
この事件は俺にヒトがヒトと関わることの難しさを実感させてくれた。
それでもだ。
俺たちはヒトと関わることでしか生きていけない。
それは動かしようがない事実なんだ。
なら、俺たちはどうにかしてこのヒトが「敵」を求め、その結果として「正義」が標的にされる悲劇が起こらないようにしないといけない。
なあ、あんたはどう思う?
俺たちはこの悲劇が身の回りで起きてしまわないように、どんな工夫が出来るんだろう?
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