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プログラミング教育に興味を持つために

プログラミング教育ってやつの必須化が目前まで迫っている。

システムエンジニアなんていうプログラミングが日常の業務の近くにある職業をやってはいるんだが、このプログラミング教育ってやつについてはわりかし一般的な情報しか持っていない。

わかっているのはプログラミング教育の目的が3つに集約されるってことくらいだ。

①「プログラミング的思考」を育むこと
②プログラムの働きやよさ、情報社会がコンピュータ等の情報技術によって支えられていることなどに気付くことができるようにするとともに、コンピュータ等を上手に活用して身近な問題を解決したり、よりよい社会を築いたりしようとする態度を育むこと
③各教科等の内容を指導する中で実施する場合には、各教科等での学びをより確実なものとすること
出展:文部科学省「小学生プログラミング教育の手引(第二版)

今回は、このプログラミング教育ってやつが子どもたちにどんなふうに施されるのかについて考えてみる回だ。

この得体のしれない教育。なんで必要なんだろうな?

教育現場におけるプログラミング教育への抵抗感

今回、このnoteを書こうと思ったきっかけをくれたnoteがある。

それがこの記事だ。

土井さんは大分で活躍なさっているICT教育の教材を作ったりしている会社の社長さんだ。
いわゆるプログラミング教育のプロ中のプロってわけだな。

この記事の中で俺に刺さった言葉にこんな物があった。

そうなると単に体験することや、デモ的にやるだけではなく、目標達成の手段として使えるようなプログラミングがいいな、と思う。
出展:土井さんのnote

そうなんだよな。

プログラミング教育が必須だからやるってだけでは、生徒も先生もいまいちやる気が起きないよな。

国語や算数の大切さってのは、誰が見ても明らかだ。この2つが出来ないと、そもそも社会生活を営むことが出来ないからだ。

算数が出来なければ、ものを買うこともままならないし、国語が出来なければそもそも情報を手に入れることができなくなってしまう。

ついでに言えば、算数が出来なければゲームを楽しむことも出来ないし、国語が出来なければ、映画やテレビやYou Tubeを楽しむこともままならない。

国語と算数は、趣味と実益がストレートに関わる教科だってことは、生徒も先生も直感的にわかっている。
だからこそやる気を出すことが比較的やりやすい。

でもプログラミング教育って言ったらどうだ?
プログラムなんて組めなくても別に暮らしていけるしとか考えちゃわないか?

そういう感覚が生徒にも先生にもつきまとっているような気がするんだよな。

土井さんのnoteはまさにそんな教育現場に漂っている雰囲気を教えてくれたんだよね。

教師がプログラミング教育を必要と思うために何ができるか?

とか言ってみても、プログラミング教育は2020年に必須化される。

必要かどうか確信を持てないまま教育をすることになったら、それは悲劇以外の何物でもない。

そこで、改めて文部科学省のプログラミング教育の3つの目的を振り返ってみる。
その目的の中にこんなのがあったよな。

②プログラムの働きやよさ、情報社会がコンピュータ等の情報技術によって支えられていることなどに気付くことができるようにするとともに、コンピュータ等を上手に活用して身近な問題を解決したり、よりよい社会を築いたりしようとする態度を育むこと
出展:文部科学省

要するに身の回りのテクノロジーを積極的に使えるようになろうってこったな。

だとすると、例えばgoogleで検索するってコトだってプログラミング教育の対象となることになるよな。

こんなにも「検索」が俺たちの生活の中心になっていくことを20年前の俺たちは想像出来ていただろうか?
情報を探し、理解するという行為。
それはもはや「読み書きそろばん」のレベルで俺たちの生活に浸透している。

その事に先生たちが気づけば、テクノロジーを使って生活するための授業としてのプログラミング教育の意味は大きいって確信出来るんじゃないだろうか?

生徒がプログラミング教育を必要と思うために何ができるか?

そうしたら、次は生徒だ。

生徒はよりテクノロジーが生活の中に溶け込んでいる。
今の小学生は生まれたときからインターネットを中心とした情報のるつぼの中で生きている。

家ではテレビ番組ではなくYou Tubeを見ていたり、オンデマンドの映像サービスを使ってコンテンツを楽しんだり、ネットに接続されたゲームを楽しんだりしている。

もはや生徒にとっては「テクノロジー」であることすら意識しないでテクノロジーを駆使している。

そのことそのものは当たり前のことかもしれないが、その仕組を理解していないとネットの危険性を理解できなかったりするので、自己防衛の大切さのようなものはぜひとも学んでもらいたいポイントだと思う。

でもそのためには、やっぱり生徒が「興味深い」という授業コンテンツが必要だよな。

SNSを使った文化祭の集客だったり、マインクラフトでの便利ギミックをプログラミングで作り上げるでもいい。

でも、今の子供たちは同じものを面白いと思える環境で育っていない。
なんつっても生まれたときからインターネットがあるんだ。

ありとあらゆる娯楽は細分化され、子どもたちのコミュニケーションで全く同じ娯楽を共有することは、俺たちが子供の頃に比べて格段に難しくなってきている。

そんな中で、どうやって子どもたちに興味を持ってもらえるプログラミング教育のコンテンツを創っていけばいいのか?

おそらく、キーワードは「コミュニケーション」なんだと俺は思うんだよね。
いくら趣味が細分化されていっても、最終的にクラスメートたちとのコミュニケーションって娯楽は絶対になくならないと思うからね。

SNSだったり、ブログだったり、動画作りだったり、子どもたちはものづくりの先にあるコミュニケーションってやつを経験させて上げることで、より主体的にテクノロジーを使うようになっていくと思わないかい?

でもそのためには学校教育だけでは、全然うまく行かない。

家庭でこそ、そのあたりのものづくりのフォローを出来るようにしてあげたいもんだよな。

さて、あんたはどうする?

プログラミング教育と言う名の改革にあんたの家はどう対応する?

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