俺たちが表現する意味
自分の求められている役割。あんたはどう理解しているんだい?
人は人の間で生きている以上は星の数ほどの役割を演じ続けることになる。
ポイントは、あくまで役割は演じなければならないってことだ。
素のままの自分はそのままでは誰からも求められない。
長いことオッサンをやってきた俺の実感だ。
いや、何も「オマイラはそのままじゃ何も役に立たないんだから努力せ~よ」って話を言おうとしているんではない。
世の中の人は、あんたの価値に気づくために努力してくれないって話だ。
例えばだよ。あんたが仕事仲間から感謝されたとするだろ?
そのときあんたはなんも努力をしていなかったか?
「そんなん仕事なんだから努力はするだろ」
あんたはそう言うかもな。
でもさ、それって仕事だから努力したのか?
おそらく違う。っていうか俺の場合は違った。
俺の場合は仕事だからっていう大義名分を使って周りのみんなによく見られたかったから努力したんだ。
俺は俺が望まれたと「俺が思っている」ことを演じ続けているわけだ。
実際のところなんてわかりゃしないさ。人の心なんてやつは客観的に理解できるもんじゃない。
あんたの考えていることだって俺と同じように7割は言葉に出来ない感覚でできているんだろう?
つまりはだ、俺たちは7割の人に説明できない「何か」で世の中を捉えているってわけだ。
そうだとすればだよ。
俺たちはお互いを理解することは至難の業なんじゃないか?
だってそうだろう?言葉で説明できないことで自分の7割も構成されているなら、理解なんてされるはずがないじゃないか。
で、あんたはそれで諦めるかい?違うだろう?
俺たちはあがく者。信じ続ける者。
だから、俺たちは俺たちを世界に向けて発信する。
理解されないかもしれない自分の感覚を言葉っていう不完全なデバイスを用いてでも、俺たちは俺たちの周りの人々に自分を表現し続けなきゃいけない。
それはあんたを理解しようとしているあんたの周りの人々に対する義務だ。
あがき続けることで何かを得られるなんて言わない。
その可能性がある限り、俺たちは周りの人々が俺たちを理解できるきっかけを与え続けなきゃいけない。
何故って?
決まってる。誰かが誰かを理解することは、理解する人を幸せにするからだ。
あんたはあんたの周りの人々を幸せにできる。
そのためにもあんたはあんたを表現してくれ。
俺もあんたに向けて俺を吐露し続けていくから。
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