テキストコンテンツの可能性
あんたもなんかの発信を続けているかい?
発信をする側にとって、やっぱり多くのヒトに読んでもらいたいって思うのが普通だと思う。
俺もご多分に漏れずあんたに読んでもらって、なんかの反応をもらうってのは実に嬉しいことだと感じているしね。
ところが、当たり前だけれども、そんなんはすぐさまうまくいくはずもなく、細々とテキストを書き続けているんだよね。
今回は動画でも画像でもなく、テキストで発信し続ける意味について考えてみる回だ。
ちっと、現状とこれからについて考えてみようぜ。
テキストコンテンツの現状
今回テキストコンテンツってテーマを俺にくれたnoteがある。
あの「進撃の巨人」に対する考察動画で有名なタキさんのnoteだ。
タキさんの考察ってメチャクチャオモロイ。
まるで進撃の巨人って物語を因数分解するように探っていく感じがたまらなく好きなんだよね。
進撃の巨人の原作は完結済みで、もう物語が増えるわけじゃないけれども、アニメで追加された要素だとか、演出方法の意図を読み込んだり、そこから発見された新たな要素を深堀りしたりしてくれている。
まあ、見てみてよ。
きっと進撃の巨人をオモロイってヒトはもれなくオモロイって感じると思うから。
で、そのタキさんがテキストコンテンツでの発信について考察してくれているのが上記noteだ。
タキさんご自身はさっきも触れた通り動画での発信をメインに据えているヒトだ。
そしてその理由として情報を取得するために受動的でいられる方にヒトは流れるからと分析している。
それに対して、テキストはより能動的に情報を取りに行かないと取得できない情報形態だって書いてくれている。
ここは完全に同意できるんだよね。
俺がこのnoteを書くのは、あんたと会話するキッカケがほしいからなんだけれど、そのためにはあんたがキッチリ何かを考えているって状態が必要になる。
つまりあんたに能動的でいて貰う必要があるってこったね。
そのためにもテキストであんたに語りかけるってのは、あながち間違いじゃなかったのかもしれないって思わせてもらったんだよ。
近い将来のテキストコンテンツの価値
とは言えだ。
近い将来において、テキストコンテンツってどういう位置になるんだろう。
今でも翻訳の仕組みが普通にできるので、読もうと思えば欧米を始めとする多くの国々のヒトが作り上げたテキストコンテンツを読むことはできる。
でも検索エンジンは日本語のキーワードに対して欧米のページを差し出してくることは今はあまりないよな。
これは逆もまた真で、英語のキーワードに対して日本語のページが検索結果として出てくることもないと思う。
でも技術的にはキーワードの翻訳って出来ているはずだから、この言語の壁を検索エンジンが突破するって未来はあり得ると思うんだよな。
実際にシステムづくりだとかの技術的な情報については、言語の壁を取っ払って調べなければいけないことも普通に起きているし。
仮に検索エンジンが言語の壁を取り払った世界になったときに、俺たちが発信しているテキストコンテンツにはどんな未来がやってくるんだろう?
おそらくは価値観の交換が今よりも増えていく状況になると思うんだよね。
欧米のヒトも中東のヒトも極東のヒトも一旦同じヒトとして意見を発信し合う世界。
発信に対するコメントも手間を掛けること無く自動翻訳される世界。
おそらくだけれども、この翻訳って技術は動画や画像よりも早くテキストで実現されると思う。
技術的な障壁が他のメディアにくらべるとだいぶ低いと思うからね。
そう言う世界が実現されたとして、中国のグレートファイアウォールの存在に人民たちが耐えられなくなる世界にもなるかもしれない。
そうしたら、基本的価値観ってやつを飛び越えて情報が行き交う世界が出来上がる。
これってスゴイ世界だよな。
なあ、あんたはどう思う?
俺たちはその世界に至るまでテキストでの発信を続けていけると思うかい?
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