ヒトと会い続ける

あんたもちょっと前までに考えていたことを振り返ることってあるかい?

俺の場合は毎日noteになんかしらかを書いて過ごしているのが功を奏して、この時何考えてたんだっけ?って振り返るのがちっと楽だって状況がある。

何気なしに今年のはじめのころはどんなんだっけ?って思って1月28日のnoteを読み返してみた。

今回は、このnoteを振り返って改めて現状について感じることがあったので、そのことをシェアする回だ。

ほんのちっとの昔話。
付き合ってくれよな。

ヒトと会うことの価値

このnoteで俺が感じていたことを一言で言うなら「ヒトと会うことの価値」ってことになると思う。

この時にmimiさん主催の集まりでお会いできた澤さんのことを書いていた。

ちっと俺のnoteを読んでみてもらうとわかるけれど、俺たちは今年のはじめには普通にヒトと会って話すことができる状況だったんだよな。

いまや東京の新型コロナウイルス感染者数はとどまるところを知らない。
コミュニケーションをとるってことそのものがリスクだって状況だ。

逆に言えば、今年のはじめのころは会おうと思えば会えたのに、それを行動できてなかったんだなぁと反省するポイントかもしれない。

ヒトと会うことの希少性がこれほどまでに高まっている状況って、今年のはじめに想像できなかったよな。マジで。

激変した世界観

この実際に会って話をするってことがリスクになる世界観は強制的に俺たちの生活様式を変えていった。

4月から数えてたかだか4ヶ月。
そんだけの短い期間に起きた変化を振り返ってみると、ちょっと尋常じゃない変化が起きているよな。

仕事は在宅勤務が基本になり、スーパーへの買い物は家族の誰か一人で行くものになったし、映画館は席を一つおきに開けて鑑賞するものになった。

中でも飲み会はオンラインで行われることが普通の感覚で捉えられる様になってきている。

これは功罪が結構ある。

まず、俺たちはコミュニケーションを取ろうと思えば、たとえ相手が外国にいようと、ネットさえつながっていれば会話することができるってことに気付くことができた。

これって結構大きい気付きだよな。

移動時間のコストをかけることなく、ヒトとのコミュニケーションを取れるって結構大きいと思うんだ。
大人数での飲み会みたいなものは、それでも多少の調整がいるのは変わらないけれども、サシで会話するだけならソッコーでコミュニケーションが取れる。

これは結構良いことだよな。

対して、本来は飲食業に落ちていたであろうお金が全く流通しなくなったって側面もある。

自粛解禁になって、また感染者が増えて営業時間を短縮することを求められている飲食店の経営が待ったなしの状況にあることは想像に難くない。

俺たちは今まで多くのコミュニケーションの場として飲食店を利用してきた。
その飲食店が立ち行かなくなることは大げさなことじゃなく文化の毀損ってやつだと思うんだよ。

スナックCANDYに何度か行かせてもらった時に、こう言う場でのやり取りってスゴイ貴重なんだって感じたんだ。
冒頭のnoteで書かせてもらった澤さんとの会話はそのことを俺の中でものすごく大きいものだって感じることが出来たんだよね。

その価値が毀損しかかっているってのは俺たちにとって重大な危機ってことなんだと思うんだ。

オンラインでのコミュニケーションを活用する

短期的には飲食業の皆さんが提供してくれるテイクアウトのサービスを利用するとか、場合によっては飲食業の皆さん自らが立ち上げたクラウドファウンディングで支援するとかでお店を支えるってのがあると思う。

ただ、この激変した世界観は多分もう元には戻らない。

新型コロナウイルスそのものに対する治療薬や予防薬は数年のスパンの中で解決するかもしれないけれど、ものはウイルスだ。
いくらでも新たな脅威は出てくるってことを俺たちは気付いてしまった。

そうなると、俺たちはスナックCANDYのような場をオンラインで実現していく必要がある。

多分、はじめは気の合う仲間での飲み会が中心になると思うけれども、それだと見知らぬヒトが意気投合するっていうあの素敵空間は生まれないんだよな。

じゃあ、どうすればそんな空間を演出できるのか?

シンプルに1対1のコミュニケーションを続けて、そのコミュニケーションをしたヒトを集める場を演出するしか無いよな。

そもそも、スナックCANDYそのものが西野亮廣さんと前田裕二さんっていう1対1コミュニケーションを鬼のように続けて行ったヒトが作り上げたもんだもんね。

なあ、あんたはどう思う?

俺たちは誰かと出会い続けることができると思うかい?

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