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ヒーローとヴィランに求めているもの

あんたにも好む物語ってのがあるかい?

俺にも結構な数の好みの物語ってのがあるんだけれども、結構な頻度で同じような要素があったりする。

主人公と敵対する勢力を色分けるものが「善悪」じゃないってやつだ。

比較的善悪っぽく描かれている僕のヒーローアカデミアですら、実のところ善悪という誰もが共有できる価値観ではありえなくって、個人の有り様のぶつかり合いだったりする。
スターウォーズとかも「ジェダイって正義か?」って言われると「うぐ!」ってなるやつじゃんか。

今回はヒーローとヴィランって物語の構造について考えてみる回だ。

ちっと俺たちが何にカタルシスを感じているのかってことについて考えてみようぜ。

ヒーローに求められるもの

世の中に存在する物語の数だけヒーローってのはいる。
まあ極論だけどね。

メチャクチャな猟奇殺人犯が主人公のような物語もあるけれど、それでも主人公って言う物語の軸になるキャラクターとしてヒーローってのはいると思うわけだ。

例えば「暗殺教室」の殺せんせーとかはぶっちゃけ「正しさ」ってのは何かってのを考えさせるような「ヒーロー」じゃんか。
「機動警察パトレイバー」での第二小隊なんて、世の中の動乱に対して「正しさ」って軸で動いてんのか?って言われると実に微妙な話じゃんか。

そう考えてみると、俺たちが物語の「ヒーロー」に求めているものってのは、実は「正しさ」が必須ってわけじゃないんだよな。

じゃあ、俺たちは何を「ヒーロー」に求めているんだろうか?

それってさ。
「仲間」なんじゃねぇか?

寄り添うという価値

もっとわかりにくいケースで行けば進撃の巨人の主人公であるエレンに俺たちは何を求めているのかってことになるかもしれない。
HELLSINGのアーカードに何を求めているのかって話も同じ要素があるかもしれない。

殺せんせーや第二小隊やエレンやアーカードに共通しているもの。

それってさ。
「仲間」じゃないか?

その仲間ってものを定義しているものは物語や登場人物によってまるきり違っているとは思うけれど、多くの主人公は仲間とともに行動し仲間のために行動している。

ここにもしかしたら俺たちが物語の「ヒーロー」に求めている真髄が込められているのかもしれないって思うわけだ。

ヴィランに求められるもの

じゃあ、敵役であるヴィランには何が求められているのか?

ぶっちゃけだよ。
そっちも「仲間」じゃないか?

ものすごい勧善懲悪な物語もある。
桃太郎みたいな物語では鬼に対して「仲間」を感じることは無いよな。

でも例えば鬼滅の刃のラスボスである鬼舞辻無惨。
あのキャラクターはぶっちゃけ生まれた瞬間から持っていなかったものとして「仲間」が描かれている。
もっとわかりやすいケースで行けば、ガンダムの連邦に対するジオンなんて、自分たちの生存権をかけて戦っているわけだから、まさに「仲間」のための戦いってことになる。

ヒトという生き物がヒト同士で協力していくことで世界を生き残ってきたという歴史を背景にすると、この「仲間」って要素は俺たちのカタルシスには欠かすことの出来ないものなんだよな。

物語に求められるもの

つまり、物語に求められるものってのは何かって話になるよな。

「ヒーロー」に求められるものは「仲間」。
「ヴィラン」に求められるものは「仲間」。

なら、俺たちが物語に求めているのは「仲間」と「仲間」の戦いってことになる。

中にはバクマンの様に「仲間」が「ヴィラン」ってケースも有る。
その場合はまた感覚的に複雑になるけれど、キーワードが「仲間」だってことは違いが無いような気がする。

俺たちは「誰かとともにありたい」という感覚と同時に「誰かとともに戦いたい」という意識があるってことなのかもしれない。

社会というものが誰かとの切磋琢磨が存在することで発展してきたってのは事実としてあると思う。

そうか。
俺たちは「進んでいく」という快感を得るために「仲間」とともにあるという状態を物語に求めているのかもな。

なあ、あんたはどう思う?

俺たちが求めている物語に俺たちは何を欲しているんだろうか?

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