文章で伝えるってこと
あんたもなんかしらの文章を書いていたりするかい?
一億総発信者の世界観になってからこっち、何らかの形で文章を書くことって増えていると思う。
普通に仕事でも文字ベースでのコミュニケーションってのは避けて通れないしね。
特にビジネス文章だと、いかに簡潔に短い時間で用件を伝えるのかってのが重要になってくるって側面がある。
結論から先に書けってのは大昔から言われ続けていることだよな。
でも俺のこのnoteみたいに、単純に読むことを娯楽として受け取ってもらいたい場合ってどうなんだろう?
今回はオモロイを共有するための文章ってやつについて考えてみる回だ。
ちっと、同じ発信者としてだよ。考えてみないか?
オモロイの結論
今回、この文章を書くということについて考えるキッカケをもらえたnoteがあるんだ。
この間参加させてもらった「お前ぶっとばす企画」の立案者であるきゃらをさんだね。
あの企画に参加させてもらったあと、ちょいちょい記事を読ませてもらったんだけれども、なんつーんだろう?文章の導入が抜群にうまいと思うんだ。
#上から目線攻撃
俺自身も結構癖のある文章を書いているつもりなんだけれども、きゃらをさんの記事を読むとなんとなく「ああ、きゃらをさんの文章だな」って感じられると思うんだよ。
で、この記事のなかで「文章に熱量を込める」ってことを書いてくれている。
読ませてもらって、ホントそうだなぁと思ったんだ。
こういう風に書いちゃうと、「なんだよ熱血なやつしか発信しちゃダメなのか」って感じちまうかもしれない。
俺がきゃらをさんの記事を読んで思った熱量ってのは、こだわりとか感情とか、引っ掛かりとかそう言う言葉にもなるものかと思ったんだ。
人間生きてりゃ、なんかしらの感情ってのが伴うのは自然なことだ。
「すげー」だったり「悲しい」だったり「おかしいだろ!」だったり。
実に多くの感情が俺たちのなかをすり抜けていくわけだ。
そこで、ふと考える。
この感情ってのが俺の思う「オモロイの結論」なのか?ってね。
感情から始まる文章
実際、小説とかを見ていると感情から始まる文章ってのは結構普通にある。
走れメロスなんて「メロスは激怒した」から始まるしね。
それだけ娯楽としての文章と感情ってのは切っても切れない関係性があるってことなんだろうな。
これってもしかするとここ最近のヒットを勝ち取ったアニメでも言えることかもしれない。
進撃の巨人の「その日、人類は思い出した」もそうだし、鬼滅の刃の炭治郎の家族愛もそうだと思う。
そう考えるとだ。
俺たちは俺たちの感情ってやつをもう少しきちんと考えていった方がいいってことになるよな。
その感情ってのが俺たちの感じているオモロイの真髄ってことなんだから。
文章の導入
そう思った上で、きゃらをさんの導入を見てみる。
実に見事に感情表現から入っている。
しかもnoteというSNSで文章を使っての発信をしているヒトが多いという前提を踏まえて、多くの共感を産み出すことが出来るような構成の文章だと思うんだ。
恐らくは狙ってこの構成にしているってことじゃなくて、きゃらをさんのセンスが作り上げた文章だと思うんだ。
やっぱり書くヒトのセンスってのは俺たちを刺激してくれるもんだよな。
そして、自分の文章を振り返ってみる。
多分だけれども、俺の場合は俺の感情を伝える手段として理屈ってパーツを積み上げていかないと伝えられないって感覚があるんだと思う。
俺はこの出来事を見てこう感じた。
なぜか?
○○はこれこれの理由があってそう判断したとは思うけれども、その判断を下したことによる影響はなにそれ。
そんな構造の文章が俺の文章なんだと思う。
それが良いとか悪いとかって話じゃなくて、読み手にとって「読んでみたい」って感情を感じさせられるかどうかってことなんだよな。
連続投稿1400日となっても、まだまだ修行中ってことかね。
なあ、あんたはどう思う?
俺たちが感じているオモロイをどうやれば伝えることが出来るんだろう?
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