良かったことを記憶する
あんたも日々の生活の中でいろんなことを思い悩んだりしているかい?
ヒトなんだから、なんかしらの負の感情を抱えながら生活するってのはごく自然な話だよな。
でもその負の感情にフォーカスし続けると気持ちが参ってしまう。
それって幸せなことじゃないよな。
とは言え、負の感情が沸き起こらないようにするってコントロールをヒトという生き物はすることが出来ない。
嫌なものに嫌って感情を感じてしまう事そのものはどうしようもないんだよな。
今回はそんな負の感情との付き合い方を考えてみる回だ。
ちっとでも楽に生きるやり方を考えてみようぜ。
良かったことを探す
今回のことを考える切っ掛けはこのnoteからもらったんだ。
相変わらずrikaさんの記事はすとーんと流れるような文章だなぁ。
まっすぐ流れていくような文章だと思うんだ。
俺のみたいにあっちこっち蛇行しない感じ。
ワン・イシューってことなのかな。
で、rikaさんの上記のnoteでは「日々の生活で色々辛いことがあっても、良いこともあるんだからそれで良いじゃない」と書いてくれている。
それは完全同意。
同意の上で、「あれ?それって誰でも出来ることじゃないかも」と思ったりもするんだよ。
ヒトの生き物としての特性
まず大前提としてヒトってのは生き物だ。
生き物は世界で生き残るために危機を回避することが必要となる。
危機を回避するためには危機を察知する必要がある。
他の生き物の場合は、その危機察知能力ってのがDNAに刻み込まれていて、その生き物にとって危険なものを生まれながらに知っている。
だから教育というプロセスを経ないでも、自分を捕食しようとする別の生き物を判別できるわけだ。
ところがヒトという生き物はちっとばかり事情が違う。
ヒトは脳を発達させるという進化を経由している。
そのために、脳を大きくする必要があったけれど、他の生き物と同じように生まれた瞬間に行動が出来るように母親の子宮で育ててしまうと、出産のときに母親の体が保たないってジレンマに陥った。
結果として、ヒトは赤ん坊を他の生き物で言うところの未熟児として出産するしかなくなった。
そうなると赤ん坊を守るためのシステムが必要になる。
それが社会ってやつだ。
社会によって、男が狩猟採集をする間に女が子を守るというような役割分担が可能となった。
ところがこの社会ってやつはヒトという生き物にさらなる課題を与えた。
秩序を守るために記憶しておかないといけないことが増えたってことだ。
その結果として、ヒトという生き物は「○○してはいけない」ってことを事さらに複雑に記憶する必要に迫られたってわけだな。
良かったことを記憶すること
してはいけない事を社会では求められている前提の中で、良かったことを記憶するってのは実に難しい。
ヒトが社会という中で生き残るために優先的に記憶しないといけないのはしてはいけない事の方だもんな。
となると良かったことを記憶するためには、良くなかったことを記憶しつつ、その上で良かったことを記憶することになる。
当然だけれど、良くなかったことの方が記憶の強度が高い。
だって生き物として生き残るための記憶だからね。
でもrikaさんが書いた通り、良かったことって記憶の価値ってものすごく高いのも事実だ。
それこそ社会の中で過ごすために前を向いて行動出来る活力の源だもんな。
記憶と感情
となるとだ。
俺たちは良いことも悪いことも記憶しておく必要に迫られる。
酸いも甘いも噛み分けるってやつだな。
全部記憶しておいて「思い出す記憶」を選別しておこうってやつだ。
できるだけ、良いことを思い出すって癖を付ける感じ。
こう書いておいてなんだけれども、これって結構難易度が高いと思う。
さっきも書いた通りヒトが生き物である以上、悪いことの方が記憶の優先度が高いんだもんよ。
だとすればどうするのか?
やっぱ「悪いこと」を「次はこうすれば良い」って書き換えるしか無い気がするんだよな。
悪いことそのものの記憶を対策で上書きする感じ。
そうすれば記憶は「良かったこと」と「対策方法」と「悪いこと」になる。
こうしておけば「良かったこと」を思い出しやすくなるのかもな。
なあ、あんたはどう思う?
俺たちはどうやって良かったことを思い出せるようになるんだろうな?
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