閉じたSNSで優しさを維持するために必要なもの
あんたは閉じたSNSってやつを経験していたりするかい?
俺が所属している西野亮廣さんのエンタメ研究所というオンラインサロンがあるんだけれど、そこで実験的にTwitterをつかった閉じたSNSってやつが実現しつつある。
俺自身はあんまりTwitterをやっていなかったんだけれども、この閉じたSNSってのが提供してくれる価値って結構なものだと感じることが多いんだよね。
今回は、この閉じたSNSがもたらしてくれるものについて考えてみる回だ。
まだまだ実験段階のこの仕組み。
ちょっと俺の感覚まとめに付き合ってくれよな。
Twitterが抱える問題
昔にちょっとだけTwitterをやっていたんだけれども、俺のアカウントが乗っ取られてしまい、それ以来Twitterにスパムとして扱われていたもんだから、自然に俺はTwitterを使わなくなって言ってたんだよね。
なのでエンタメ研究所で実験的に行われている「閉じたSNS」以外では、未だに俺はTwitterを使っていない。
なので、Twitterが抱えている問題について、実体験をしているわけではないんだけれども、Twitterが誹謗中傷で溢れかえっているってニュースはちらほら見ていたりするんだよね。
実際、Twitter社のCEOも対策に苦慮しているってニュースもあった。
Twitterが誹謗中傷で溢れてしまう仕組み
そもそも、なんでTwitterは誹謗中傷で溢れてしまうのか?
どうやら、そこには2つの理由があるらしい。
上の記事に書いてある理由はこうだ。
(1)匿名性
(2)文字数制限
匿名性が誹謗中傷をしやすくするってのはなんとなく分かるよね。
誹謗中傷ってのはされるヒトも傷つけるのと同時に、するヒトの信用にも傷をつけるもんだ。
そこで匿名性があると、そもそのその信用ってものが本人に紐付いていないので、ノーリスクで誹謗中傷を出来てしまう。
しかも、その誹謗中傷が発信者の「正義」に基づいてされていたりするから更に厄介だ。
「正義の味方」になるって快感に俺たちヒトは本質的に抗うことができないんだよな。
あと何気に2つ目の文字数制限ってのも厄介らしい。
何が厄介だって?
140文字に制限された文字数では、何かを批判しているとしても、その根拠まで表現出来ないってんだよ。
もっとこうしたら良いんじゃない?とか、そのやり方だとこう言う問題があるよね?とかの議論をするには140文字ってのはあまりにも文字数が少ないってんだよね。
そうなると、感じたことをストレートに書かざるを得なくなり、結果として誹謗中傷になっちまうってことなんだそうだ。
閉じたSNSは誹謗中傷から俺たちを守れるのか?
閉じたSNSでは本名でのアカウント名にするってルールが定められているので、匿名性が抱える課題には対応している状態になっている。
さらに鍵アカウントを前提としているので、エンタメ研究所メンバー以外が混ざらない工夫がされている。
でもそれでもTwitterであることは変わらないので、140文字の文字数制限は普通にある。
なので、うまく伝える努力をみんなでしないことには、単純な感想が「誹謗中傷」に化けてしまう可能性は0じゃないってわけなんだよな。
じゃあ、具体的に俺たちはこの閉じたSNSで相手をいたわることが出来るんだろう?
多分だけれども、普通のコミュニケーションと同じ気遣いは有効だと思うんだよな。
例えば、自分と違う意見を見かけたら、「なんでその意見になったんだろう?」って一回想像するってこと。
俺たちは普通のコミュニケーションでその作業を息をするようになめらかにやってるじゃんか?
一旦、その想像を挟むことで、相手の立場ってやつを自分の中に仮置することが出来ると思うんだよね。
相手の立場ってやつが腹落ちした状態ができれば、例えばその相手の意見が相手にとって良くないことが起きそうだって思ったときも、頭ごなしに「間違っている」という伝え方をするよりも、「いやいや、まずくない?それって○○ってなっちゃう気がするんだよね」って伝え方を工夫出来るんじゃないかな?
なあ、あんたはどう思う?
俺たちは閉じたSNSで優しさを持ち続けることが出来ると思うかい?
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