価値観の伝播
あんたはお互いが周りに与えている影響について考えることってあるかい?
日々の仕事を眺めてみても、お互いの行動がお互いの行動に影響し合うってことは普通にある。
実際、部署の異動が起きるたびにその部署の持っているカラーみたいなものが実に明らかに異なって見えてきた経験がある。
ある部署では圧倒的なリーダーが組織を引っ張り、そのリーダーの視野まで周りが引っ張り上げられるようなことも起きた。
ある部署では既存顧客を確保することをメインにして、技術的な向上を目指すよりも技術が失われていくことに抗うしか出来ていないことしか出来ないようなところもあった。
今の部署は圧倒的な若さのパワーで顧客を含めて進み続けるという雰囲気にあふれている。
今回はヒトがヒトに与える影響について考えてみる回だ。
ちっとお互いが周りに与えている影響ってやつを考えてみようぜ。
価値観という要素
今回このことを考えてみようと思わせてくれた記事がある。
rikaさんは一度社会に出てから再度学び直しをなさっている御仁のようだ。
多分、学びということに対してひとかたならぬ思いを持っていらっしゃるんだろうなぁ。
rikaさんはこの記事のなかで親が子に与える影響について書いてくれている。
勉強好きの親からは勉強好きな子が育ちやすいし、高級ブランド好きな親からは高級ブランド好きな子が育ちやすい。
なるほどなぁ。
俺の親と俺の関係で考えてみると、至極納得いく意見だと思う。
俺の場合は父親の頑固さと母親の倹約志向を受け継いでいる気がするし、息子を眺めると、父親の体格と母親のエモーショナルさを引き継いでいる気がする。
※体格は今回の話とは関係ないけど
#ポッチャリをデブと言ってはいけない
つまり、家族という集団においても価値観の伝播ってのは確実にあるって訳だ。
組織の中の価値観
で、家族以外の組織においても同じなのか?
例えば町内会みたいな組織でも価値観の伝播ってのは起きるものなのか?
俺個人でみると、町内会からの価値観伝播ってのは起きている気がしていない。
圧倒的に関係を持っている時間が少ないからだろうな。
でも、きっちり町内会活動をしている御仁にしてみれば価値観の伝播ってのはあるだろうし、そもそも価値観を共有していないと活動がめちゃくちゃ面倒になると思うからね。
そう考えてみると、仕事の組織において価値観共有が起きるってのは実に利にかなっている現象ってことになるんだよな。
価値観の共有が産み出すもの
じゃあ、具体的に価値観を組織で共有するメリットってなんなのか?
きっとだけれども、もっともでかいメリットは「説明コストの軽減」だよな。
価値観ってのは実のところいつもの「虚構」のひとつだ。
物理的に観測可能な客観的事実ではない。
国とか宗教とか貨幣とか会社とかと同じ意味での虚構だ。
つまり組織という虚構を効率よく動かすための虚構が価値観ってわけだな。
俺の記事をよく読んでくれるあんたにとっては耳たこの話だろうけれども、この虚構ってのはネガティブな文脈では使っていないんだ。
むしろポジティブな文脈で使うことが多い。
この虚構があったからこそ、ヒトは他の動物が手にいれることのできなかった特殊能力である「あったこともないヒトと協力する」能力を手にいれたんだからね。
で、その価値観という虚構によって、説明コストを下げる。
結果として組織は成果を残すための協力をしやすくなるってスンポーだ。
価値観が奪うもの
それと同時に価値観にはデメリットもあるはずだよな。
ぱっと浮かぶところだと、他の価値観を拒絶することが多くなるってことかな。
価値観ってのは極端に言えば「何を選んで何を捨てるかの基準」なわけだから、当然他の価値観が捨てるという選択をしたものを大切にしたいという価値観とは共存が出来ない。
そうなってくると、他者を廃絶するような協力なんてのが生まれてしまう。
となれば、インターネットによって価値観がどんどん細分化されていく世界観では、「あったこともない誰かと協力する」ことがどんどん出来なくなっていく。
こいつはヘビーだ。©️バックトゥザフューチャー
じゃあどうすんだって話だけれども、おそらくそれが「妥協点を見いだす」ってことなんだろうな。
自分の価値観と他の価値観の共通点を探すといってもいい。
それが見つけられた時に新しい価値観が生まれて、その価値観はまた伝播していくんだろう。
なあ、あんたはどう思う?
俺たちはこの価値観という可能性の化け物とどう付き合っていけば良いんだろうな?
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