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インターネットが俺たちに与えたもの

あんたはいつごろネットってものが生活に入ってきたんだろうな?

インターネットってものがいまじゃ当たり前のサービスとして、全世界に浸透していっているが、これほどの普及ってのは誰も予想できていなかったんだろうな。

もともとは「どっかが爆撃されても通信が維持できる仕組みちょんまげ」ってなもんでアメリカの軍部がこさえたインターネット。

それが、人と人の繋がりの形を変えてしまうなんてことを誰が予想しただろうか。

いまやその「存在を消すことが出来ない仕組み」として厳然と世の中に存在するようになったインターネット。
そして、その仕組を息をするように自然に使うようになった俺たちヒト。

今回は、俺たちのインターネットとの関わりについてあーだこーだ考えてみる回だ。

さてと、ちょっくら昔話に付き合ってくれよな。

それは俺が小学生の頃だった

俺が初めてコンピュータというものに触れたのが小学4年生の頃だった。

当時のパソコンは「マイコン」なんて言われ方をしていた時代だった。NECのパソコンが世の中のデファクトスタンダードとして受け入れられている時代だったんだよな。

PC-6601mk2SRとかBASICでかんたんにマイコンがしゃべるぞ!とかPC-8801mk2なら色んなソフトが動くぞ!とかPC-9801F2なら16bitパソコンの性能を見よ!とかね。

考えてみるとPC-6601mk2SRなんて、3.5インチフロッピーが使われていて、PC-9801F2よりか下位の機種なのに、時代を先どっていたんだよなぁとかちょっと感慨深い。

でも俺が最初に触れたパソコンってのは、シャープのMZ-2000というやつだった。

そうそう、こんなんだった。でもディスプレイがグリーンディスプレイだったはずなんだが、改造してんのかな?この動画は。

カセットテープにプログラムを記録させるタイプだったんだよね。試しにプログラムを記録させたカセットテープを普通のラジカセ(これも今の若者は知らないんだろうなぁ)で聞いてみると、「ぴ~ぎゃららら~」となんとも形容のし難い音がなるんだよ。
あ~なつかし~。

で、当然っちゃー当然なんだが、この頃はパソコンを回線につなぐってことが困難を極めていた。

音響カプラーって代物があって、何かって言うと、固定電話基あるじゃない?黒電話とか言われていたやつ。
何知らないって?

こんなやつね。

黒電話ってなにげに優秀で、回線から電源供給される仕組みだったので災害で停電になっても通信は担保されるんだぜ。
いまや、IP電話なんて、電源の確保と回線の確保は別々だから、その堅牢性たるや、すごいものがあるよな。

この黒電話の送話口に音響カプラーというものをカパッてはめて、それこそ「ぴ~ぎゃららら~」って音でデータ通信を行っていたんだ。

すごい時代だったよな。

で、その通信先にしても、インターネットなんてものはなかったから、個人が運営しているパソコン通信のサーバにつなぎに行く感じになる。

生まれてはじめてパソコン通信で画像をダウンロード出来たときの感動は今も覚えているよ。
文字通り世界とつながった気分になったんだよな。

大学で出会った電子メール

で、時は経ち、まんまと情報系の大学に進学した俺はそこで初めてホストとよばれる巨大なコンピュータに触れることになる。

たしかHI-UXっていう日立製のUNIXマシーンだったと思う。

これがまた、当時の俺の心をくすぐってやまなかった。
当時はGUIなんてものは用意されていなかったんだけれど、テキストベースであっても、俺の心を鷲掴みにする仕組みがあったんだ。

電子メールだ。

この電子メールという仕組みが俺に与えた衝撃っていったら、もぉ、なんて伝えたらいいか分からないくらいだ。

今ここで打った文章がバケツリレーの仕組みで相手に届く。

しかもそのバケツリレーを直接手渡す相手は、文章を届けたい相手のことを直接は知らない。
ざっくり言えば、「知ってそう」なメールサーバに俺のメールは受け渡され続けて、その結果としてメールが届くってスンポーだ。

ちなみにこの仕組そのものは今も全く変わっていないんだよ?すごくね?

当時の俺としてはその仕組みをきちんと理解しているわけじゃないが、それまでは、友達と遊びに行くにしても口約束して、その約束どおりの時間に待ち合わせて遊びに行くなんてのが当たり前だった。

電子メールはそんな時間拘束から俺たちを開放してくれた。
なにしろスキマ時間に相手に文章を送っておけば、相手もスキマ時間にその文章を読むことが出来る。
そして、そのやり取りは手紙によるやり取りなんか比べ物にならないくらいに短期間に行われる。

人と人の繋がり方が変わった瞬間だった。

Windows95という起爆剤

そんな革新的な仕組みも、相手が使っていなければ意味がない。

その状況を打破するものは、すぐにやってきた。

Windows95だ。

こいつが世に出回ることで、一気にパソコンとネットをつなげるということが自然に行われる様になったんだと思う。

当時はまだいろいろな問題があったけれど、やっぱり振り返ってみても95の存在ってのは計り知れない。

世の中に「俺たちは繋がれる」ということを革新させたOSだったんだと思うんだよね。

考えてみると、Windows95が現れる前と後では時代の進む速度が極端に違っているような気がするんだよ。

そう考えると、このWindows95はもしかしたらアダムとエヴァが頂いてしまった知恵の実なのかもな。
もしくはパンドラの箱か。

そっから先、俺たちは死にものぐるいで時代を進めざるを得なくなったんだから。

なあ、あんたはどう思う?

俺たちはインターネットというパンドラの箱の底から「希望」を見つけることが出来るんだろうか?

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