ひとり親での子育てに対する感情を考える
あんたの家も子育てがんばっているかい?
我が家の一人息子はなぜか小学生になってから体重の増加が止まらない。
運動しなさすぎなんだろうなぁ。
俺に似てバリバリのインドア派だしね。
特に今の休校状態では、貴重な登下校っていう歩く行為すら無くなってしまうから、運動不足はワリカシ深刻な問題なのかもしれないな。
そんな風にたった一人の子供を両親が愛情と努力を傾けてようやく子育てって出来るって感覚が俺の中にはあるんだよね。
でも世の中にはひとり親で子育てをしなければならないヒトも多くいる。
そして、どうやらそのひとり親ってやつに対して、俺たちヒトはある種の感情を抱くことが多いらしい。
今回は、そんな感情ついて考えてみる回だ。
ちっと一緒に考えてみないかい?
ひとり親は優遇されている?
今回、子育てに対する色々を考える切っ掛けをくれたnoteがある。
それがこいつね。
Yukiさんは西野亮廣エンタメ研究所での繋がりで知ったヒトなんだけれど、そのYukiさんはひとり親としてお子さんを育てていらっしゃるとのこと。
なんつーんだ?
俺なんか一人で息子を育てろって言われたら、途方に暮れてしまうんだが、それでも日々の子育てってのは止めるわけには行かないので、その奮闘っぷりは想像に難くないよな。
で、上のnoteではこんな記載がある。
ひとり親ってなにかと優遇されすぎ
出典:Yukiさんのnote
……へ?
そんな意見あんの?
で、ちっと調べてみたら、まあ普通に「優遇されすぎなんじゃい!」って意見があちこちに書かれている。
マジか?
この意見は俺としてはまったく理解が出来ない。
いや、嫌いとかそう言うことを言いたいんじゃなくて、本当に理解が出来ないんだ。
その理由をちょっとまとめてみよう。
「俺たちの税金をひとり親に使うな」の理解出来なさ
どうもネットに転がっている、いわゆるひとり親の各種支援制度に対する反対意見を見ると、この「俺たちの税金」って言葉がちらほら見えてきた。
まずここが理解できない。
各種支援制度は政府の拠出なんであって、「俺たちの税金」ではない。
政府の拠出の元手の一部は確かに「俺たちの税金」なんだけれど、知っての通り、政府のプライマリバランスは、俺に言わせると「正常に」赤字なわけだ。
つまり、政府は政府の借金(国債)を発行することで、予算を組み上げている。
この時点で「俺たちの税金」じゃないじゃんか?
「いやいや、政府の借金が増えたらマズイでしょ」って言うヒトもいるかもしれない。
そこで、俺としてはそのヒトに問いたい。
「……なんで?」ってね。
っていうか、政府にしろ企業にしろ、借金で経済活動を拡大しているんだから、借金をして事業規模(国の場合は国の経済)を拡大するってのは資本主義の根っこの仕組みだ。
だから、デフレである現在において、国債を発行して銀行から現金をあつめて、それをひとり親にお金をまくってのは、非常に理にかなっていると思うんだよね。
なんでだって?
そりゃあ、ひとり親での子育てによる出費ってのは、「しないわけには行かない」出費だからだ。
つまりひとり親を支援すれば、その分世の中に出回るお金を増大させる。
つまり景気対策として理にかなっているってわけだ。
ひとり親の支出は誰かの収入になる。
誰かの収入はその誰かの支出を促す。
そして、日本経済はバラ色になるってスンポーだ。
これほど効率的な支出があるかって話だ。
マジで。
「ひとり親になるのは自業自得でしょ」の理解出来なさ
もう一つ理解できない感想があった。
「ひとり親になるのは自業自得でしょ」って意見だ。
……なんで?
コイツはチットばかり難問だ。
なんでひとり親になるのが自業自得なんだ?
……あ、そうか。
もしかして自分に自由意志があるって本気で思っているヒトなのかな?
結婚相手を「自分の意志」なんてもので決めているって本気で思っているんだな。きっと。
違うからね。
生物学的に自由意志なんてものがないってのはもはや常識の類らしい。
俺たちが今、子育てを出来ているってのも、結婚生活を営めているってのも、全部俺たちの「反応」が作り上げているってのが事実だ。
例えば味噌汁が熱くていただけないって状態を見て、味噌汁を作ってくれたヒトが不満を感じてしまうってのも、「ただいまー」って帰ってきても、家族が誰も返事してくれないとかも全部「反応」だ。
そしてここからが肝心だけれども、俺たちは俺たちの「自由意志」で「反応」をコントロール出来ない。
俺たちは怒りたくて怒っているわけじゃなくて、反応として怒ってしまう。
俺たちは笑いたくて笑っているわけじゃなくて、反応として笑ってしまう。
冷静に考えてみると、あんたが感じている様々な感情はあんたが「起こしたい」と思って湧き上がっているわけじゃないってのはわかるじゃん?
だから、結婚も離婚もそう言う反応の積み上げで起きる「状態」に過ぎないんだから、そのヒトがコントロール出来たことなんて一つもないんだよ。
自分がコントロール出来ないことに対して「自業自得」って言葉としておかしくない?って話だ。
まあ、この考え方を突き詰めると「悪いとか良いとかって何よ?」ってなるんだけれどね。
まあ、そうなんだよ。
俺たちのヒューマンエラーは突き詰めると俺たちの反応の結果なんであって、それは環境が持つシステムエラーに分解できるはずなんだな。
システムエラーとして整理できたら、それはもう解決したも同然だと思うんだよね。
なあ、あんたはどう思う?
それでも俺たちは「ひとり親」を責め立ててしまうんだろうか?
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