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プログラミング教育が俺たちに求めること

あんたはプログラミング教育ってやつを聞いたことがあるかい?

あんたのところにも子供がいるようなら、もしかしたら気になるキーワードだよな。

今回は、現役システムエンジニアである俺の目線からプログラミング教育ってやつで子供たちが何を身につけることを期待されているのかを考えてみる。

プログラムなんてくんだことねぇよってあんたに伝わるようにがんばってみるからさ、読んでみてくれよ。

プログラミング教育って言葉で起きる勘違い

まず、プログラミング教育必修化ってニュース、あんたも聞いたことがあるよな?

この「必修」って言葉で俺たちがまず思うことは「ははぁん、『プログラム』っつー教科が増えるんかね?」ってやつだ。

実はこれがまず違う。

プログラムって教科が出来るわけじゃなくて、算数やら理科やら総合学習の時間やらでプログラミングの要素が組み込まれるってわけだ。

ただ、この組み込まれるってのが曲者で、どのくらいの時間をプログラミングに費やすかってのは文部科学省として見解は出されていない。学校次第ってやつだな。

こうなると、骨抜きになることは目に見えていて、学校としては「これだけやりましたよ~」って報告だけ出来りゃいいんだから、公立なんて特にそうなると思うが、テキトーにやられることは火を見るよりも明らかだと思わないか?

次に起きる勘違いは「うちの子はプログラムが組めるようになるのね」だ。

これは、当然その子の資質にもよるが、プログラミング教育はプログラムが組めるようになるための訓練ではない。

じゃあ、なんだよって話だが、文部科学省いわく、「プログラミング的思考の育成」だ。

プログラミング的思考ってなんだ?

このプログラミング的思考ってのが何者なのか。

これがプログラミング教育ってやつが世の中に与えようとしているものを浮き彫りにしてくれる。

その前にプログラムってなんだか、あんたは知っているかい?

プログラムって言えば、運動会のプログラムに学芸会のプログラムなんて思いつくよな?

なに?そのプログラムじゃねぇだろって?

いやいや、そのプログラムもパソコンで動くプログラムも、根っこの意味は同じなんだぜ?

プログラムってのは「物事を行う手順」そのものを指す言葉だ。

その手順通りに動くことによって、何かの目的を成し遂げるってわけだな。

運動会のプログラムは最初に1年生の○○をやって、次が3年生でとかやる順番を書いてあるよな?

コンピュータのプログラムも基本は同じ。何をやってからコレをやるって書いてあるわけだ。

で、プログラミング的思考ってやつは何者なのか?

つまりは「目的を達成するための手順を考えること」ってことだ。

運動会のプログラムは子供の成長を親に見せることと、誰かに対して自分達の成果を発表する経験を積むことっていう目的のために組み上げられている。

同じように、例えばofficeのWordは文章を書くという目的のための手順がプログラミングされているってわけだ。

つまり、プログラミング的思考ってやつは、俺たちが日々の仕事の中で必死こいてやっていることそのものってわけだな。

子供たちが求められる結果

このプログラミング的思考を身につけることを期待されている子供たち。

なぜコレが求められているのか?

それは俺たちの生産性を上げていかないと、少子高齢社会に対応できないってのが根っこにある。

働き手が少なくなるんだから、一人一人が出来ることを増やしていかないと、社会全体の供給能力が下がっちまう。

国全体での供給能力の下落はイコール国力の低下だ。

国力の低下の先にあるものは他国による搾取。すなわち国としての「死」だ。

そうならないためには、俺たちの能力向上ってのは避けて通れない喫緊の課題ってやつなんだ。

そのために必要なのがプログラミング的思考を持つもの、すなわち機械でもそのとおりやれば目的を達成できるやり方を考えられるやつだ。

AIはこれからも出来ることをどんどん増やしていく。その活用を考えることはこれからの世の中で最も重要な要素だ。

だからこそ、その基本中の基本。目的達成のためのプロセスを組み立てる能力ってのが必要になるってわけだな。

これは何も子供たちだけの話じゃない。俺たち自身にも求められていることなんだぜ?

さあ、あんたはどうする?

あんたは、どうやったら世界を救うことが出来ると思う?

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