見出し画像

薬物使用を「罰する」か「ケアする」か

槇原敬之さんの覚醒剤保持のニュース。あんたも見たかい?

沢尻エリカさんの報道を見たときにも感じたことだけれど、この薬物に関わるニュースってやつは、俺たちが薬物使用をしてしまうって危険性をきっちり減らす効果があるんだろうか?

日本の場合は、薬物使用は刑事罰なので、薬物使用をしたヒトは罪人として扱われている。
そのことによって、最初に薬に手を出させない抑止力としようって考え方に則っているわけだ。

ところが、これって果たして本当に効果があるんだろうか?

今回は薬物事件について考えてみる回だ。

ちっとばかし物騒な話だけれども、付き合ってくれよな。

薬物関連の検挙状況

まず、俺たちを取り巻く薬物関連の検挙状況ってやつを振り返ってみる必要があるよな。

とりあえず、警視庁の提供しているデータからグラフに起こしてみた。

薬物事犯検挙状況

ちっとデータが古いっちゃ古いんだが、あんたはこのグラフからどんな印象を受けた?

横ばいって感じじゃないか?

まあ、データとしては検挙数のデータだから、必ずしも薬物を取り巻く全てを表したものじゃないんだが、横ばいって印象が正しいとすれば、一つの事実が浮かび上がってくる。

今のやり方では今以上に薬物関連の事件は減らすことが出来ないってことだ。

例えば、俺たちが子供の頃にこんなCMが流れていた。

幼心に「薬物おっかねー」って思った記憶がある。

ところが、そんなおっかないCMを槇原敬之さんも見ているはずなのに、使ってはいないにせよ、手元に覚醒剤を置いてしまっていた

いくらCMで恐怖を植え付けても、ニュースで薬物使用をしたヒトを吊し上げても、実際の抑止力としては、コレ以上の効果はないってことだよな。

罰するのではなくケアする必要性

罰することでの抑止力に限界があるんであれば、俺たちはどうしていけばいいのか?

そのことのヒントになる国が世界にはある。
ポルトガルだ。

ポルトガルではハーム・リダクションと呼ばれる政策を導入していて、薬物使用に対して厳罰に処さないってことをやっている。

日本の感覚からすると「へ?そんな事やって大丈夫なんだっけ?」とか思うじゃんか。

ポルトガルでは、2001年にハーム・リダクションを施行してから、薬物の問題使用は、非刑罰化直後の2007年までは緩やかな増加傾向が見られたが、それ以降は減少に転じているんだそうだ。

ポイントは厳罰に処す代わりに、ソーシャルワーカーによる生活支援と一体になったケアをすることなんだそうだ。

コレって何か非常に理にかなっている気がしないか?

そもそも生物学的にヒトには自由意志なんてものはない。
そのことについてはこっちのnoteでも書かせてもらった。

で、このnoteでまとめたとおり、俺たちヒトには自由意志なんてものは無い。
あるのは外からの刺激に対する反応か全くのランダムで発生する反応だけだ。

「いやいや、きっちりオレには意思があるし」ってあんたは言うかもしれないよな。
でもよ?生物学の世界ではその考え方はどうやらもう過去のものらしいぜ?

仮に俺たちに自由意志なんてものがないとしたら、薬物を使用してしまったり、依存してしまったりってのは完全に置かれた環境によるもの、つまり「運」ってやつが原因であって、そのヒトを罰したところで生まれるものはほとんどないことになるよな。

だとすれば、その「運」の無いやつを切り捨てるのがこれからの世の中を良くすることなんだろうか?
それともポルトガルの様にケアすることが俺たちの世の中を良くしていくことなんだろうか?

AIとバイオセンサーによるビッグデータは、これから俺たちの生活をより客観的に評価する世界がすぐそこに来ているんだ。

俺たちは、俺たちの「反応」をきっちり客観視して、そのケアを自ら行える社会に向かっていくほうがみんなで幸せになれると思わないか?

なあ、あんたはどう思う?

俺たちはヒューマンエラーを責めたいのか?
ヒューマンエラーの原因のシステムエラーを直したいのか?

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?