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自粛生活2020年4月14日

読むことで癒やされる傷があるように、書くことでしか癒やされない傷もあると思う。

自宅と会社を車で往復するだけの自粛生活にもだんだんと慣れてきた気がしていた。

今朝家を出て、車が停まっている車庫へ歩いていく途中、ふと気持ちが塞ぐような感覚があった。

なんだ、これは?

自宅で過ごす時間が増えたことで、お酒を飲む機会がほとんどなくなり、睡眠時間も長くなった。身体に優しい、模範的な生活を送っている。

また、妻や子供と接する時間が増え、家族のつながりも強まっている。

子供が早く寝てくれれば、読書する時間も確保できるので、有意義な時間を過ごしている。

そんな風に思って数日過ごしてきたつもりだったけれど、本当はどこか歯車が狂ったまま
日々過ごしていただけだったのかもしれない。

自粛生活前までは、僕が持っている複数の顔、例えば自宅では夫や父親としての顔、実家では息子や孫としての顔、会社での顔、友人と過ごすときの顔など、をうまく使い分けながら、絶妙なバランスを保って、毎週過ごしていたのだろう。

自粛生活突入後は、それが父親や夫としての顔、息子や孫としての顔、会社での顔という限られた顔が頻繁に出現する一方で、その他の顔を活躍する機会がほとんどなくなってしまった。

これが、今朝の喪失感につながったのかもしれないなぁと思いながら、車に乗り込んだ。

この自粛生活の間の自分の気持ちを書き留めておくことで、将来振り返ったときにあのときはそんなことを考えていたんだと懐かしむことができるような痕跡にしようと思う。

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