興奮のメカニズム
車を運転していて、
信号待ちしているとき、
僕は横断歩道を渡る人達を
観察することが習慣になっている。
脇見運転と注意されるかもしれないが、
走行中だって頻繁に歩行者や
自転車に乗っている人達を
チラっと見たりしている。
昨日、出張先の富山県で
車を走らせていたら、
横断歩道を渡ろうと
信号待ちしている女性が、
太陽の強烈な日差しを避けようと、
手に持っていた書類で顔を隠していた。
50mほど手前で、
それを視界にとらえた僕は、
普段なら走行中なので、
見るとしてもチラッと程度なのだが、
通り過ぎる瞬間にタイミングを見計らい、
必死になって覗き込んでいた。
その女性がどのような
ご尊顔をされているのか
何としてでも見てみたいと、
急激な勢いで膨れあがった
僕の好奇心がそうさせたのである。
素っ裸よりも少しだけ
着衣している方が
興奮するという意見もあるし、
隠されると、条件反射のように
興味や好奇心が膨れあがり、
どんな手を使ってでも
隠されたものを見たくなってしまうのは、
人間の性なのだろう。
そんなことを考えていたら、
頭の中はいつの間にか、
平安時代へタイムスリップしていた。
平安時代には高貴な女性のご尊顔を
男性はなかなか拝むことができなかった。
彼女たちは自由に外を
出歩くなんてことはもってのほか。
外出するときは籠(かご)に入って、
移動していたようである。
その籠は完全に密封されているわけではなく、
空気の出入り口として、部分的に
簾(すだれ)状になっていたようだ。
もし僕が平安時代に生きていて、
その籠と道端で運よく出くわしたら、
それだけで胸を高鳴らせて、
きっと簾の中の女性の顔を見るために
必死に目を凝らしていたに違いない。
また、高貴な人物が天皇に謁見するとき、
そのご尊顔を直接拝むことはできず、
簾越しに対峙している場面を
大河ドラマで見たことがある人も多いだろう。
もし、僕がその時代
天皇に謁見できるような立場にいたら、
簾越しにご尊顔を凝視してしまい、
話の内容など右から左へ
状態だったかもしれない。
隠されると、
興味や好奇心が猛烈な勢いで膨れ上がり、
あらゆる手を尽くしてでも
それを見たいと思ってしまう。
人間はこんな風に興奮するようである。
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