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僕のボトルネック

自分の弱みをさらけ出せない。

他人に弱音を吐けない。

僕の弱点だ。

昨日、知人と2人で食事していた席で、そんな話をした。

そのとき、僕はこんなストーリーを語った。

僕は自営業を営む家に長男として生まれた。

僕の両親は結婚して、父親は婿養子になった。

つまりは母親の生まれ育った家が自営業を営む家系で、僕はその家で育てられた。

僕の母は四姉妹で、僕の祖父母は男の子が生まれるのを心待ちにしていた。

そんなタイミングで、待望の男子として誕生したのが僕だった。

ここまでの前置きから考えてみても、幼い頃から僕が目に入れても痛くないという表現通り、周囲の大人たちに惜しみなく愛情を注がれた育ってきたことが分かると思う。

そんな環境で育った僕は、自分がやりたいとかほしいと思う前に、周りの大人たちが先回りして、色んなことを経験させてくれたり、色んなものを買ってくれたりした。

例えば、僕を新幹線に乗せてあげようと思いたった当時80歳くらいの曽祖父が、最寄駅から1区間分だけ僕を新幹線に乗せてくれて、降りる駅に僕の母親が車で迎えに来てくれて、その車で家に帰ってきたエピソードがそれにあたる。

僕が自分で思いたつ前に、周囲の大人たちが与えてくれる、そんなことのオンパレードだ。

だから、僕は他人に対する甘え方を知らずに育ってきた。

甘えるときの常套手段は、自分の弱みをうまく見せながら、これに困っているので助けてほしいとねだることだろう。

例えば、お金がないけど、お菓子が食べたい、ジュースが飲みたいから、お小遣いをちょうだいというように。

僕の場合は、自分からお小遣いをねだるよりも、先に誰かがお小遣いをくれる環境だったので、甘える必要がなかった。

他人に対して自分の弱みを見せ、何かを引き出すという経験が致命的に欠けている。

弱みを見せる必要のないまま育った僕は、他人への甘え方が分からないまま大人になった。

何かに手こずったり、苦しんだり、悩んだり、失敗したり、不安になったりして、自分の気持ちが沈んでいるときは、ほとんど他人に相談することなく、自分で解決してきた。

人生において片手で数えられるほど、本当に気持ちが弱ったときは、友人や彼女に聞いてもらったりしたこともあるけれど、そのときも非常に打ち明けにくかったことを覚えている。

他人に自分の弱みを見せたくない、言い換えるとプライドがバカ高いだけということなんだろうけれど、それを今でも引きずったまま生きている。

そして今、その弱みをうまくさらけ出せない、それを邪魔する一銭にもならない高いプライドがボトルネックになって、僕は大きく羽ばたけずにいる気がしている。

それをあれこれと、生まれた家や育ってきた環境に関連付けて、知人に刻々と昨夜語った自分を振り返って、カッコ悪いなと思った、今日の朝。

昨夜一緒に食事した知人は、一通り僕の話を聞いてくれた後、『弱いところ、カッコ悪いところを他人にさらけ出しても、相手だってあなたが思っているほど気にならないと思うし、あなたから色んなことを打ち明けられることで信頼してくれているんだと感じることだってあるんだから、もっと色んなことをさらけだしていってもよいんじゃないかな。』と優しい言葉をかけてくれた。

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