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自分は「無」だと自覚するとラクになった話。

みなさんは「死」に対して向き合ったことがありますか?
「死」を怖いと思いますか??

自分はこういったトピックが好きで、よく考えてしまいます。
そんな自分は「死」について考えて、あることに気づきました。
それは、自分  =「無」であるということです。

生前、死後の「無」

当たり前ではありますが、私たちは生前の記憶なんてありません。
まだこの世に存在しておらず、物理的に「無」であったのだと思います。
もちろん、感情や認知といった概念も無かったと想像します。
(輪廻転生などの考え方も存在しますが)

私は、死後もこれと同じ状態になると思っています。
生きている間の思い出、体の五感など、全てが「無」になるのかなと予想します。

生きている間は?

生きている間、私たちはこの世に存在し、物理的に「無」ではありません。
ですが、最終的には土に還って「無」に帰することになります。
生きている間に築いた社会的地位財産、記憶などを引き継ぐことはできません
産声をあげた時も、この世を去る時も、人は何も持っていないのです

私たちは広大な自然の中に存在する「無」の存在なのです。
美しく咲いた花が枯れるように、蝉が夏だけ鳴いて消えるように、
私たちも時期がくれば、自然界から姿を消すのです。

JPOPを代表するアーティスト、藤井風の「帰ろう」にも以下のような歌詞があります。

怖くはない 失うものなどない
最初から何も持ってない

藤井風「帰ろう」

日本人には、このような考え方はスッと入ってくるような気がします。(仏教思想の影響?)

どんなに偉い大統領、億万長者、金メダリストであっても、
無人島にすっぽんぽんでいれば、ただの人でしかありません。
キラキラ見える憧れの人も「無」なんです。

自分の挑戦したいことの足枷は
幻想に過ぎないのかもしれません。
持っていると錯覚してる何かに囚われているのかもしれません。

失うものなどなく、最後は「無」になると考えれば、
色んなことに挑戦したいと思えてきませんか?
失敗しても大丈夫だと思えてきませんか?

私は、今この瞬間やりたいと思ったことを
形振り構わず全力でやりたい。
どうせ最初から最後まで「無」なのだから。


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