謝れないことで見える 優先させたいもの

非に気付いても人に謝ることが出来ない、という人が自分の周りには多い。
結論から正直に書くと、心に毒だから、関わらないようにしていくことに決めた。

こちらは剣呑な空気にしたくないので、基本的に笑って指摘はしないことも多い。そもそも野暮だと思ってるから。笑っていても、同意することは口にしない。

謝らない当人が人に非を認めることで何を損なうと思っているのかを考えた。
・プライド(威厳とか、優位性)
・面子
・発言力
・気持ち

具体的に書くと、その人は『情けなさや、バツの悪さを感じること』や『負けること』が嫌なのだと考えられた。

では謝られることのなかった側から見て、実際にその人から損なわれるものを考えた。
・信頼
・気持ち

具体的に書くと、謝らないことで『人間性や人格を疑われる』。
プライド、面子、発言力といった、負けどころではない。
当人が守ろうとしたもの以上の、大事なものを損なっている。

余りにもこちらの気持ちがひどくなった時は、人目の少なくなったところで非を明らかにするようにしている。ただ、その後。

謝れない人がこちら側に
・説教、アドバイスをする
・怒る
ことがある。

もしくは
・口先の謝罪に終わる
ということも。

自分の場合は出来る限り、聞くようにしている。誰にだって言い分や理由はあると考えているからだ。
また、こちらの側にも1%も非がないとは限らないからだ。

あくまでも、こちら側が譲歩しているということは忘れないけれど。

ただ、基本的には謝れない側はやらない方が良いと思うのだ。
人間性や人格を疑われ出してる上でのこと。ますます相手にされなくなるだろう。
いくら譲歩していたとしても、気持ちを害する。

謝ることが出来ない人で
・非を認めない
・非が明らかになっても譲歩されている前提を忘れる
人には、普段から感謝の念が感じられない人が多いことに気付いた。

足下を見ているつもりなのだろうか?
人の助力が当たり前化しているのだろうか?

いずれにせよ、無礼な人は嫌がられていくだろう。
拾う神もあれど、その行いを改めない限り、その神にすら捨てられる。

自分の話に返ると、お互いに気の毒様ということで、謝ることが出来ない人とは関わらないようにしていくことに決まったのだった。



以下は余談。

謝ることが出来ない人も、
謝られることのなかった人にも、
その時に損なっている要素に

・気持ち

が共通してあった。

残念なことでもあるのだけれど、気持ちは水ものだ。
自分の中で今は絶対的であっても、いつか変わってしまうかもしれない。

お互いに時間と距離を置いたり、忘れたり、変化していけば、許容できるようになっているのかもしれない。
身も蓋もないことを書くと、それ故に気持ちには救われることもある。

自分と周りはお互いにいつかまた関わりを持つことがあるのだろうか。

謝ることが出来ない人がそこに見当を付けて期待していなければ、の限りにおいてだけれど。

何となくでも、わかっている悪い人はいるから。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?