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音楽は人生を賭すほどに尊いということ~『マイケル・ブレッカー伝』書評(評:冨田ラボ・冨田恵一)

 ポール・サイモン、スティーリー・ダンほか参加作品数は900枚超。ジャズのみにとどまらず八面六臂はちめんろっぴの活躍をみせたテナーサックス奏者の超絶技巧プレイの秘密に迫る伝記『マイケルブレッカー伝 テナーの巨人の音楽と人生』(ビル・ミルコウスキー著、山口三平訳)。

『マイケルブレッカー伝』書影
序文は兄ランディ(ブレッカー・ブラザーズ)が寄稿

 このたびは、マイケル・ブレッカーの長年のリスナーであり、昨年活動20周年の大きな節目をむかえた音楽家/音楽プロデューサー、冨田ラボ・冨田恵一さんに本書の書評を寄稿いただきました。
 著書『ナイトフライ 録音芸術の作法と鑑賞法』(小社刊)を上梓するなど、実作のみならず、その鑑賞眼も一級と称される“ポップス界のマエストロ”は、夭逝ようせいの名プレイヤーの短くも濃密な一生涯を綴ったこの本をいかに読んだのか。ぜひご一読ください。

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音楽は人生を賭すほどに尊いということ
 
評◉冨田ラボ・冨田恵一

 マイケル・ブレッカーの演奏や音楽を知り、その立ち振る舞い、言動などから少しでも人間性を感じたことがあれば同意してもらえるだろう。妻スーザンは言う――マイケルは「人間がなりうる最高の存在」であったと。
 
 本書は間違いなくコルトレーン以降最大の影響力を持ったサックス奏者であり、ジャズのみならずポップ・ミュージックの領域でも活躍したマイケル・ブレッカーの伝記である。幼少期から2007年の逝去とその後までが家族や多くのミュージシャン、スタッフ、友人の証言を基に詳細に描かれている。音楽面はもちろんだが、マイケルの人間性に触れられるエピソードが多く、それらはとても感動的だ。著者はジャコ・パストリアスの伝記で有名なビル・ミルコウスキー。誇張なく丁寧に、かつ愛情を持って書かれた本書には否応なく引き込まれた。山口三平氏の翻訳も見事だ。
 
 ポップ・スターのように華やかな、あるいはセンセーショナルな出来事が矢継ぎ早に起きるわけではないが、本書に描かれたマイケルの人生は濃密、そしてリアルだ。多くの証言にあるように、彼が終生探究、練習の人であったこと、ピーター・アースキンが言う「凡庸さに対しては決して寛容とはいえな」い姿勢を持っていたことも、マイケルの音楽や演奏を聴けば容易に想像できる。技術的、音楽的に世界一のサックス奏者であるとの証言も多いが、それ以上に、世界一でありながらとびきりの謙虚さ、やさしさ、誠実さを持っていることに驚き、感動したとの証言の数が圧倒的だ――「傲慢なクソ野郎になっても不思議じゃない」立場なのにとリッチー・バイラークは言い、著者は“ユーモアは常にマイケルと共にあった”とも言う。このように本書で描かれたマイケルの人間性は、私たちが聴き、見てきたマイケルとまったく矛盾しない――どころか、想像をはるかに超えた思いやりに溢れ、思慮深い人柄とあのプレイのバランスを考えると改めて超人的だ。生涯唯一のスキャンダルとも言えるジョー・ヘンダーソンのマイケルに関する発言、それに対する反応、そして自己解決に至るまでの行動も実にマイケルらしく、そちらも本書では克明に描かれている。
 マイケルの音楽と人生を総括できる今、人間としても「最高の存在」であったことに異論はないが、妻スーザンがマイケルと出会ったのは1984年だ。それはすでに彼が本当の意味で「最高の存在」となった82年以降にあたり、それまでの長い期間、マイケルは酷い薬物依存状態にあった。理由の一つとして、ウィル・リーとの会話で「完璧な8分音符を吹きたくて」薬物を使用していると説明しているが、本書でたびたび登場する父親との関係には注目せざるを得ない。マイケルの複雑な内面、抱えていた問題の根本はそこに帰せられるのではないか。生前のインタビューでは、音楽一家で夕食後はいつもセッションを行なっていたことなど、親子関係のライトサイドにのみ言及していたので、父子関係の問題は本書で初めて知った。ランディ・ブレッカーは父の生育環境に関して、「幼い頃近所にユダヤ人が少なく」「厳しい環境で」「タフな人生を送ったし気性も荒かった」と述べている。しかし「子供のためにどれだけ戦う」親であるか、「心底、兄弟を守ろうとする」親であったかは、理不尽な批判をブレッカー兄弟に向けたローランド・カークに父が殴りかかろうとした逸話からも想像に難くない。
 とはいえ、そういった親の愛と承認を得るために、想像をはるかに超えるほど音楽に集中せざるを得なかったのがマイケルだ。遡ってその出自と時代がマイケルの人生に大きな影響を及ぼし、マイケルのスタイルを形作った大きな要因となったのが理解できる。マイケルは幼少期に音楽に惹かれた理由として「父に気にかけてもらえるとも思った」のだろうと述べ、「承認を得たくて」音楽をやっていた側面を認めている。また著者は薬物依存の原因を“何人かが証言するように、父親の承認を得ようと常に競争していた子供時代からの苦痛を麻痺させるためだったのかもしれない”とも述べる。もちろんデイヴ・リーブマンが言うように、70年代のNYという「みんなハイになっていた」環境下ではあったが、マイケルは「罪悪感に苛まれ、恥じ、苦しんでいるようで」「正常でいるためにやっているよう」だったと当時のガールフレンドは語る。フランコ・アンブロゼッティのコメントにはマイケル自身の言葉で父子関係について語る箇所がある。アンブロゼッティの「世界一のサックス奏者であるって素晴らしいことだよね」に対して、「そうだね。でも、私が支払わなければならなかった代償は大きかった。父と関係を持つにはそれしかなかったんだ」と憂鬱そうに答えたとある。アンブロゼッティは“しかし、ある意味そのことが、彼を彼たらしめ” “賢さと繊細さを併せ持った人間”へと導いた要因であったろうと述べている。そして“深い内面で苦しんでいたから”こそ“彼の演奏、特にバラードでは悲しみを感じるときが”あり、彼の“感情はすべて彼のサックスを通して伝わってくる”と締めている。
 
 そして10年にわたる深刻な薬物依存からの離脱を決心させたのは親友、ドン・グロルニックからの手紙であった。
 ドンはジェイムズ・テイラーなどポップ・ミュージックのプロデュースも手がけた素晴らしいキーボード奏者、作編曲家。マイケルのソロも3枚プロデュースしている。ドンが送った「マイケルのことをどれだけ大切に思っているか、死んでしまうのではないかと心配していると綴った感動的な手紙」がきっかけで、マイケルはリハビリ施設に入所する――「これでヤクを断つことができないなら、音楽をやめるよ」との覚悟の上で。5週間の治療を終え退院したマイケルは「それ以来、クスリには一切手を出さなかった」と、ランディを始め多くが証言する。それだけに留まらず、クリーンになったマイケルは本当に多く――ジョン・スコフィールドによれば100人以上、ランディによれば数千人――の薬物中毒に陥った人たちをサポートし、立ち直らせた。押し付けがましいことは一切せず、しかし粘り強く、求められたときはそばに、しかもそれを数年間にわたり続け、友人たちを救うという偉業を繰り返したのだ。この特筆すべき事実はマイケル没後のスコフィールドのインタビューで明かされるまで、少なくとも日本では公にされてこなかった。マイク・スターンもボブ・バーグも、そしてデヴィッド・サンボーンもマイケルに救われたのだ。サンボーンは「正直なところ、マイケルなしに自力で薬物から抜け出られたかどうかわからない」と言い、友人は「誰もが、『マイケルが私の人生を救ってくれた』ストーリーを持っているんだ」と述べている。そうしながらも、マイケルはリハビリ施設を退院してすぐにレコーディング復帰する。その作品がクラウス・オガーマンとの『Cityscape』だ。共同ながら初めてのリーダー名義であり、ブローイング・セッションとは程遠いオーケストラ作品。復帰第一作としてはかなりヘヴィーな内容で、マイケルはマイク・マイニエリにプロジェクト参加の不安も打ち明けている。しかし結果をぜひ聴いて頂きたい。クリス・パーカーが「信じられないほどの音楽性と能力を持っているという意味では以前と同じだ」と言い、マイケルのアーカイヴ管理者はリハビリ前後で「練習メモに差が見受けられません」と、オガーマンは「グレン・グールドを思い出させるよ」と話す通り、この作品のマイケルから心配するような要素はまったく聴こえてこない。それどころか、この作品でのマイケルは一つ上のステージに立ったように聞こえる。リハビリ直前の演奏はジャコ・パストリアス『The Birthday Concert』で聴けるが、もちろんどちらも素晴らしい。素晴らしいのだが、『Cityscape』から聴き取れるマイケルの精神は、以前にはなかったほど解放されている。ここでの演奏はバイラークの語るように「圧倒的、信じられない」としか言いようのないものだ。私はいまだにこれ以上美しい音楽に出会っていない。
 
 本書では、70年代初頭ロフト・シーン、新旧ブレッカー・ブラザーズ、スタジオ・ワークやポール・サイモンとのツアー、ハービー・ハンコックやマッコイ・タイナーとの共演、ステップス・アヘッド、ソロ・キャリア全般、闘病から遺作のレコーディングまで、マイケルのキャリアを網羅、すべてが克明に描かれている。マイケルを聴いてきた方であれば、証言者の名前ひとつで情景までリアルに浮かび上がると思う。そして、マイケルを知らなくともすべての音楽家、音楽家を志す方々にはぜひ読んで頂きたい。音楽が人生を捧げるほどに尊いものだと思い出させてくれるだろう。
 
※かぎ括弧および引用符内はすべて掲題書からの引用

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評者略歴

冨田ラボ(冨田恵一)
音楽家、音楽プロデューサー、作曲家、編曲家
冨田ラボとして今までに7枚のアルバムを発表。
活動20年目となる2022年には約3年振りとなるオリジナルアルバム「7+」をリリース。
冨田ラボの20周年を彩る20名の豪華アーティストが参加。
2023年、冨田ラボとしての活動が満20年を迎える。
6月21日には20周年を記念したアルバム「冨田恵一 / 冨田恵一 WORKS BEST 2〜beautiful songs to remember〜」をリリース。数々のヒット作品に関わり、圧倒的な支持を得るポップス界のマエストロ、冨田ラボ(冨田恵一)がプロデュースしてきた多くの著名アーティストの楽曲、冨田ラボ名義でリリースしてきた楽曲に加え「Take That ! feat. TENDRE」、「夏の亡霊 feat. KIRINJI」、「for YOUR BUDDY」を含む冨田ラボの新曲も収録。11月3日には3枚組LPとしてもリリース。
音楽プロデューサーとしても数多くのアーティストに楽曲を提供する他、自身初の音楽書「ナイトフライ -録音芸術の作法と鑑賞法-」が、横浜国立大学の入学試験問題にも著書一部が引用され採用されたり、1つの曲が出来ていく工程をオーディエンスの前で披露する“作編曲SHOW”の開催や、世界中から著名アーティストが講師として招かれることで話題のRed Bull MusicAcademyにてレクチャーなども行うなど、音楽業界を中心に耳の肥えた音楽ファンに圧倒的な支持を得るポップス界のマエストロ。

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《書誌情報》
『マイケル・ブレッカー伝 テナーの巨人の音楽と人生』
ビル・ミルコウスキー著 山口三平訳
A5判・並製・464ページ(+カラー口絵8ページ)
本体3,200円+税 ISBN: 978-4-86647-193-8
全国の書店・オンライン書店にて好評発売中
https://diskunion.net/dubooks/ct/detail/DUBK338

■ ブレッカー・ブラザーズ、ステップス・アヘッドで一世を風靡したテナーサックス奏者マイケル・ブレッカーの伝記。
序文は兄ランディ(ブレッカー・ブラザーズ)が寄稿。
著名人/ミュージシャン/家族ら計100名超にも及ぶインタビューを基に、
不世出の天才を育んだ幼少期・学生時代の話から57歳での早すぎる死までを描く。
■ 登場ミュージシャンはハービー・ハンコック、パット・メセニー、ジャコ・パストリアスほか
ジャズ界の名プレイヤーをはじめ、ポール・サイモン、ジョニ・ミッチェル、ジェイムス・テイラーなどポップスのアーティストまで。
■ クリス・ポッター、ジョー・ロヴァーノ、ボブ・レイノルズ等々の
音楽仲間が故人を偲んで秘蔵エピソードを語る「盟友たちからの証言」も収載。


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