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Go to サマーリーディング! お出かけできなくても、本があるじゃない。『優雅な読書が最高の復讐である』電子書籍化記念!「ロリータの靴下」を全文公開。

 夏休みの予定が真っ白になってしまった2020年。世の中、腹立たしいことばかり。海外に行けない富裕層の予約で、都内の超ラクジュアリーホテルは秋まで予約がいっぱいらしいですが、しがない本好きとしては、お酒でものみながら、部屋で読書をするくらい。紙の本が最高なのは、誰にとっても平等だから。電子書籍は端末の優劣があるし、読書以外の室内娯楽は、たとえば音楽鑑賞はオーディオ装置に左右されるし(個人的にはカセットテープで聴くロックンロールの音が好き)。800円の文庫本は誰でも等しく同じ最上の価値があるのが素晴らしすぎる。ざまぁみろ!(誰に?)

 さて、今回、電子書籍化を記念して(できれば紙でというアンビヴァレントな想いもこめつつ)、著者の山崎まどかさんの快諾を得て、『優雅な読書が最高の復讐である』から「ロリータの靴下」を全文公開いたします。note掲載にあたり、改行や動画リンクなどを加えております。(編集部 稲葉)



ロリータの靴下

 ナボコフの『ロリータ』のヒロイン、ドロレス・ヘイズことロリータはどんな服を着ていたのか。それはハンバート・ハンバートにとってのニンフェットではなく、ある時代のティーンエイジャーとしてのロリータを知る大きな手がかりになる。

 まだヘイズ夫人の下宿屋にハンバート・ハンバートがいた頃、六月のとある朝に彼が居間で見かけたロリータはピンクのチェックのワンピースを着ている。そのワンピースは「スカートはたっぷりしていて、腰から上はきつく」、彼女は足にボビー・ソックスを履いている。ボビー・ソックスとは、四〇年代に少女たちの間で人気があったフリルつきの足首までの短いソックスだ。このソックスに合わせてサドル・シューズを履き、ふんわりと膨らませたプードル・スカートを穿くのが流行だった。

 ティーンの間でフランク・シナトラの人気が急上昇していた頃で、彼をアイドルとして追いかけ回す少女たちに大人が目を剥いていた。彼らにはまだ十代の少女たちが性的な対象を持つこと自体が信じられなかったのだ。彼女たちはその服装から「ボビー・ソクサー」と呼ばれた。「ボビー・ソクサー」はそれ以前のギャル文化である二〇年代のフラッパーと違い、その後の六〇年代のビートルズ・ファンや八〇年代のバレイ・ガールに連なるようなティーン女子限定の文化であるということが新しかった。

  「ボビー・ソクサー」は十代に独自の文化や社交形態があることを世間に知らしめ、やがて各企業が消費者としてティーンの少女を意識するに従って、大きなマーケットとなっていく。ロリータのニューイングランドでの短い女子校生活の描写には、ダンスパーティーやデート、ドラッグストアでの買い食いといったティーンの消費生活の一端が垣間見られる。ドロレス・ヘイズは早熟かもしれないが、特別に危険な少女ではなく、性的な興味と消費に傾き始めたミーハーな「ボビー・ソクサー」の一員だったのだ。

 ちょうど『ロリータ』の時代設定と重なる一九四七年に『The Bachelor and the Bobby-Soxer 』(独身者と女学生)という「ボビー・ソクサー」の文化を描いた映画が公開されている。おませなティーンのボビー・ソクサーが、ケイリー・グラント扮するプレイボーイに夢中になって引き回すという内容で、女学生を演じたのは当時十九歳のシャーリー・テンプルだった。子役スターだった彼女が成長してからの出演作では、唯一ヒットした映画である。脚本を担当したのは作家のシドニー・シェルダンで、この作品でアカデミー賞のオリジナル脚本賞を受賞している。


 映画ではハンバート・ハンバートとロリータのようにグラントとテンプルの間に具体的な関係が生まれる訳もなく、物語はマーナ・ロイが演じる女学生の姉で鉄火肌の法律家とグラントのロマンスにシフトしていくのだが、それでも大人の異性、しかも男くさいセクシュアルな魅力をふりまくグラントのような男性に年端もいかない十代の少女が猛アタックをかけるというのは、当時のハリウッドとしては相当に過激な設定だったであろう。しかも、この頃のシャーリー・テンプルは決して美少女とは言えないが、妙にこなれたコケットリーがあるのだ。

 彼女が人気の絶頂にあった37年にこのコケットリーについて指摘して、書き手としての生命が危ぶまれるほどの糾弾にあった作家がいる。グレアム・グリーンだ。テンプルの人気を皮肉り、彼女のファンに潜む性的な欲望に触れた彼の記事は、テンプルが所属する映画会社の20世紀フォックスに訴えられた。これをきっかけにグリーンは映画評論の仕事を辞め、小説に活動
の場を移すことになる。

 ナボコフの『ロリータ』が発表された時、真っ先に評価したのはこのグレアム・グリーンであった。四〇年代に花開いたボビー・ソックスを履いた少女たちの風俗と『ロリータ』が大きくリンクしている証拠である。

山崎まどか
コラムニスト。女子文化全般、海外カルチャーから、映画、文学までをテーマに執筆。著書に『オリーブ少女ライフ』(河出書房新社)『女子とニューヨーク』(メディア総合研究所)『優雅な読書が最高の復讐である』『映画の感傷』(DU BOOKS)『ランジェリー・イン・シネマ』(blueprint)、共著に『ヤング・アダルトU.S.A.』(DU BOOKS)、翻訳書にレナ・ダナム『ありがちな女じゃない』(河出書房新社)など。

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