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2拠点生活のススメ|第56回|肩書きという鎧ならいらない

最近は、見慣れない肩書きに出会うことが多くなった。

CEOにはじまり、CMOとかCTOとか、もうついていけない。またコミュニケーションデザイナーやソーシャルプロデューサーなどなど、何する人か余計に分からなくなる肩書きの人にも良く出会う。専門職になればなるほど、聞き慣れないものが増えている気がする。

もう、ややこしいので止めてよと思う反面、こうした良く知らない肩書きに出会うと、萎縮してしまう自分が居る。知らないのは自分だけなのではないか。恥ずかしくて、肩書きについて聞けないという事態にも陥ってしまう。

また逆に、そうした○○アドバイザーとか、○○デザイナーとかといった肩書きが、名刺やプロフィールにいっぱい並んでいる人を見ると、実は何も出来ないんじゃ無いかといった偏見が発動してしまう。

そんなことを考えてしまうのは、私だけなんだろうか?

確かに今の時代「役職」よりも「役割」が重視されるようになり、新しい価値観の役割も増えているので、仕方が無いこととしても、たくさん肩書きを並べる必要があるとは思えない。


そもそも、どうして自分はこうした肩書きにアレルギーを感じるのだろう。

私の仕事は映像を作ること。ディレクターとしての仕事が主だが、プランニングや構成もするし、撮影や編集も自分でやることも増えてきた。

前までは、映像ディレクターという肩書きを名刺に書いていたのだが、映像に関する万事を請け負うようになったので、映像クリエイターという肩書きに変えた。

偉そうに言っておきながら、ひょっとしたら、これも「良く分からん奴」という印象を与えているかも知れない。

先日あるネイリストの肩書きが「つめをぬるひと」と書かれている名刺を見た。

名刺がデザイン的にも洒落ていたので、余計にいい印象を持ったのかも知れないが、どんなに専門的な職種でも、こんな肩書きだったら、すぐに打ち解けられる気がする。

私も「映像をつくるひと」という肩書きに変えようかな。


私が肩書きにアレルギーを感じてしまう理由。それは肩書きが、ある種の鎧のように使われていることにあるのではないかと思う。

話はそれるようだが、先日カーデザイナーという肩書きの方と出会って話をする機会があり、かねてからの疑問をぶつけてみた。

ワンボックスなどのファミリーカーに至るまで、どうして日本の車はみんなイカつい顔をしてるんですかと尋ねたところ、やはり同じように「あれは鎧なんですよ、最近あおり運転なんかも多いでしょ」との答えが帰ってきた。

今の世の中、鎧がないと世の中を渡っていけないものなのか。

ひょっとして、金髪やタトゥー、マッチョなんかも、ある種の鎧なのか・・・。


人と人とのコミュニケーションを深めるためには、鎧を脱ぎ捨てるのが一番。

仕事上の付き合いでは、難しいのかも知れないが、それでもなるべく裸の付き合いをしたいものだ。

カッコイイ肩書きに憧れる気持ちも分からなくは無いが、派手な鎧で威嚇するのは止めて欲しいな。

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