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2拠点生活のススメ|第18回|「くつろぐこと」のむづかしさ

2拠点生活で培われた禅への興味

これまでも友人に誘われて、年越し座禅会に参加した経験があったり、スティーブジョブスや海外の著名な経営者などがマインドフルネスに傾倒していることを知り、気にはなっていたのだが、その精神や、考え方に深く興味を持つようになったのは、2拠点生活を始めてから。そのキッカケは、タイトルに惹かれて借りた一冊の本との出会いでした。

「あたらしい わたし」、それはまさに2拠点生活を始めた私のテーマとも言えるタイトルでした。禅というと、当たり前だが仏の教えであり、厳しい修行を想像させる縁遠いものだったのだけれど、この本に書かれていたのは、遠い昔の説教臭いお話しでは無く、今をどう生きるかというメッセージ。この本で、藤田一照という僧侶の存在を知り、深く傾倒するようになっていきました。


「本当にくつろぐことができないというところから、人間のあらゆる不幸が生じる」

藤田さんは現代座禅講義という本の中でそう語っています。ほんとうに幸せになりたいのなら「くつろぐことができる力」を身につけ、育てていかなければならない。くつろぐというのは、目的意識を持って幾ら努力しても手に入るものではなく、「くつろごうとする努力」を止めて待っていることができるようになった時、初めて訪れるというのです。

なんだか禅問答のような話しにも聞こえますが、確かにくつろいでいるときというのは無意識に訪れており、頭で何か考え出すといろいろ気になってきて、くつろいでいられなくなる。私たちが幸せを日々感じることができないのは、幸せに対するアプローチがまったく間違っているということ。私は信心深い仏教徒でも何でも無く、神の存在を語られると逃げたくなるような人間ですが、この事実に頭を殴られたような衝撃を受けました。


「しない力」 「やめる力」

「事実や理屈を苛立って追い求めたりせずに、不確かさ、謎、疑問の中に安住していることができること」=「くつろいでいられる能力」

今の世の中、積極的や能動的なチカラが重視され、評価され、「何が出来るか」を常に求められています。ボーとしてないで、さっさと動きなさい。あなたに何ができるか見せなさい、さもなければあなたに価値は無いと・・・

けれど、人には吸う息ばかりでなく、吐く息が必要なように

活動的な昼間だけでなく、休息のための夜が必要なように

また手は掴むことだけでなく、放すことを覚えないと使えないように


「しない」チカラ、「やめる」チカラも、能動的な力と同じように大切なのだと気づかせてもらいました。

最近、朝のルーティーンとして20分ほどの座禅を組むようになったのですが、ボーと何も考えないことの難しさを実感しています。この座禅が終わったら、あれしてこれして・・・あっ、あそこに電話掛けるの忘れてたとか、すぐに頭の中がいっぱいになります。見た目はくつろいでいるようで、頭の中は忙しく動き回っている。「くつろぐ」ということの難しさを実感する日々。

「本当にくつろぐことができないというところから、人間のあらゆる不幸が生じる」

何だか、その意味が最近ちょっと分かるような気がしてきました。

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