見出し画像

村上春樹、再び

私が初めて村上春樹の本と出会ったのは、カトマンズの小さな古本屋。
日本を離れて2ヶ月が経とうとしていた時だった。

インドを旅する友人からのエアメールに触発されて、バックパックを背負って旅に出たのは、今からもう40年近くも前のこと。

インド北部のベナレスという街に魅せられ、ガートと言われるガンジス川の沐浴場に、来る日も来る日も通い続けた。そこはヒンズー教の聖地で、信徒たちが毎朝川に入り、祈りを捧げる場所。観光客をはじめ、サドゥと言われる世俗を離れた出家者、川で洗濯する洗濯屋、チャイを飲ませる屋台でおしゃべりする人たち、バイタリティに溢れる物売りなどなど、とても活気に溢れた場所だった。

ベナレスのガートの風景

そんなガートの片隅に火葬場があって、井桁に組まれた木の上に白い布でぐるぐる巻きにされた遺体が乗せられ、次から次へと焼かれては、川に放り込まれていた。
ヒンズー教においてベナレスで荼毘にふされ、ガンジス川に流されることは、輪廻転生から脱出して神の国に行けることを意味しており、インド中のヒンズー教徒がここで死ぬことを望んで集まっていた。

どうしてそんなことをしていたのかよく覚えていないけれど、毎日ガートに出掛けては、取り憑かれたように遺体が焼かれる光景を眺めていた。

いったい自分はどこに向かっているのだろうか・・・。
なんの為に生まれてきたのか・・・。

生命力に溢れた賑やかな人々の営みのすぐ先で、亡骸が次々と焼かれて行く。
その光景はまるで、美しいも醜いも、ごちゃ混ぜに渦巻く自分の心の中を見ているようで、離れられなくなってしまった。

金だ、名誉だ、と大騒ぎしたところで、所詮人間なんて大した存在ではない・・・

すでにベナレスに滞在して1か月以上、季節が巡り気温が40度を超える日が続いて、身体も悲鳴を上げ始めたし、何をするにもエネルギッシュなインドの人たちと渡り合うことにもつくづく疲れて、涼しく穏やかなネパールへの脱出を決めた。

前置きが長くなってしまったが、そうしてたどり着いたカトマンズで、偶然いや必然とも言えるタイミングで村上春樹に出会った。

その古本屋にあった日本語の本は、ほとんどが旅のガイドブック的な本だったのだが、唯一小説らしきものを見つけて手に取ったのが、村上春樹の「1973年のピンボール」だった。久しぶりに見る日本語が嬉しくて、ページをめくりはじめたのだが、すぐにその世界観に魅了されてしまった。

なぜなら、その本の中には自分がいたから。

当時、私は遅れてきた大学生で同級生は年下ばかり。社会に出ることを引き伸ばす為だけに大学にすがっているようなクズ学生で、世の中に所属する場所が見つけられない、いわば村上春樹の小説に出てくる主人公のような存在だった。

日本に帰ってからも、初期の3部作「風の歌を聞け」「羊をめぐる冒険」と共に何度も読み返しては、村上春樹の世界に傾倒していった。

やがて、映像制作の仕事につくようになり、忙しい日々の中で何となく村上春樹的世界とは距離を置くようになった。村上春樹が描く人たちも、阪神・淡路大震災やサリン事件をキッカケに世の中と繋がりはじめ、それと同時に彼の本を読んでも、昔のような感銘を受けなくなっている自分がいた。

宿から眺める夕焼けの海

村上春樹と出会って40年、映像仕事もずいぶん落ち着いて、コロナをキッカケにこれから自分がどう生きていきたいかを考えるようになった。そしてたどり着いたのが故郷を離れ、海の見える場所で宿を始めるという決断だった。

ゲストが来ない日は、買い物に行って簡単な料理を作って食べる、することがなくなると本を読み、音楽を聞く。淡々とした暮らしを送る日々。
よく考えると、これってまさに村上春樹の小説を彩った主人公の暮らしそのもののような気がして、改めて3部作の主人公が登場する「ダンス・ダンス・ダンス」を手に取って読んでみることにした。

インドやネパールを彷徨っていた頃の自分が鮮明に蘇ってきて、長い時間をかけてかつての(本来の)自分にようやく戻ってこれたんだなと思った。世の中からは少し距離を置き、自分が面白いと思うものに導かれて行く日々。

波があればサーフィンをする。
ゲストの旅話を聞くラジオを始めたり、弓道教室にも通うようになった。

映像仕事に右往左往していた自分とは、まったく違う自分がここにいる。
経済的に成功し安泰といったものとはほど遠いけれど、世の中の価値より、自分の価値を信じて、やりたいと思うことを一生懸命にやる。

世の中からは浮いてしまった存在かもしれないが、あの主人公はちゃんと自分の価値観で生きていて、よく考えると、とても幸せな人だったんじゃないかと思うようになった。

おかえり、自分。
ずっと探していた自分に、再び逢えたような気がしています。


泊まるだけじゃないNOMAyado始まっています。
海に面した移りゆく光の中で、アートに向き合う時間はいかがですか
皆さんのお越しをお待ちしています。

海から海へ From inland sea to ocean

Hiroshi Matsumoto・池上夏生 Natsuo Ikegami 2人展

11月11日(土)〜12月10日(日) 11:00~15:00
*上記期間中、金・土・日・祝日 (11/23 ) のみ Open

画像クリックで詳細へ


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?