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自分を生きるだけ

宿を始めて、気づいたことがある。

それは心に溜まった澱のようなもの、言い換えれば、ある種自分の中では解決したつもりだけど、納得はしていないといった心の重しを吐き出すには、一人旅という環境と、まったくしがらみの無い人間関係というのが役に立つということ。

仲の良い人なら、聞き出すのにきっと何年もかかるような話を出会ってたかだか数時間で聞くことがある。例えば、「どうして離婚されたんですか?」といったふとした疑問に、思いがけない深度で話が帰ってきたりもするから・・・

夕暮れの渡船が郷愁をさそう

まあそれを聞いたからと言って、こちらも何か恰好のリアクションを取れるというわけでは無いけれど、みんな少し気持ちが軽くなったような顔を見せるから、これはこれで良いことなのだろうと思う。
宿をやるまで、そんなこと想像もしなかったけれど、疑問に思ったことを何でもぶつけてみるというのも、お客様にとって意味があることなのかも知れない。

毎日遊びに来ていた「おかん」

そう言えば、毎日のように通ってきていた、通称「おかん」(野良猫)が急に姿を見せなくなった。寝城である造船所跡を覗きに行っても、おかんの子どもたちの姿はあるけど、おかんはどこにも見当たらない。

同じように近所の野良猫を可愛がっていた仲の良い漁師に、最近「おかん」を見ないんだけど、調子でも悪いのかなと聞いたら、早朝に路上で車に轢かれて倒れていた「おかん」を発見、すぐに抱き上げたが息絶えていて、可哀想だから海岸に穴を掘って供養したとのこと。こうした事故はたまにあるそうで、数年前にもこの「おかん」の子どもが車に轢かれて亡くなったことがあったらしい。

まあ、野良猫にとっては、良くある話とも言えるのだけれど・・・

鳴門に越してきて1年余り、誰よりも先に仲良くなっただけに、思い入れもひとしお。話を聞いてもう1週間は立つのだけれど、未だショックを隠しきれない自分が居る。

「おかん」には、どれだけ癒やされたことか・・・

どうしてこんな混雑もしないローカルな場所で
しかもスピードも出せない狭い道
いったい何があったというのだろうか・・・
事情が分からないので、誰も責めることは出来ないけれど
日頃からこの周辺は猫がうろついているのを分かっているはず
どうして、もう少し気にしてやれなかったのか
悔しさだけがこみ上げてくる。

「おかん」とは、何かが通じていた気がするんだな・・・

ブレット&バターの歌「あの頃のまま」じゃないが、
(これってユーミンが作った歌だったんですね、最近まで知りませんでした)

人も猫も、それぞれ自分を生きていくだけ
どういう人生が幸せで、幸せで無いなんて、他人が語ることじゃない。

旅人が吐き出した心の澱は、小鳴門海峡にそっと流しておくことにします(笑)。


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