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2拠点生活のススメ

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#サーフィンライフ

2拠点生活のススメ|第20回|アラ還オヤジの初体験を集めてみた件②

初めてのスポンジボードスポンジボードとは、初心者のレッスンなどで良く使われるサーフボードのこと。浮力があって安定性があり、表面がスポンジのような材質でぶつかっても壊れないし、ケガもしにくい。最近は、初心者向けだけではなく、自由な発想でサーフィンを楽しむギアとして、いろんなスポンジボードが開発されているようだ。 徳島で本格的にサーフィンを再開して、青波を走れるようになってきたのはいいけれど、特に小さい波では、思うように加速して波に同調できない・・・そんな悩みを解決するために、

2拠点生活のススメ|第9回|BobとDylanが繋がって出来たウェットスーツ

DYLANという名に惹かれ立ち寄ったBAR徳島でサーフィンをするようになってすぐの頃、長年使ってきたフルスーツのチャックが壊れてしまい突然動かなくなってしまった。これから季節は冬本番。春まで海に入ることはそう無いにしても、3月・4月はまだまだ水が冷たいし、フルスーツ無しという訳にもいかない。この際、新しいウェットを作ろうかなあ・・・と思案していたときに、ふと思い出したことがあった。 それはまだ2拠点を開く前に下見で徳島を訪れた時のこと。デュランという名前に惹かれて、何気なく

2拠点生活のススメ|第7回|そして再びサーフィンライフが始まった

サーフィンを始めた80年代は、サーフカルチャー全盛期当時は、丘サーファーなんて言葉もあったぐらいで、単にスポーツとしてだけで無く、ファッションやライフスタイルなどサーフカルチャーというひとつの文化を生み出していた。大阪みなみのアメリカ村には、西海岸のサーフカルチャーを取り入れたお店が林立し、週末ともなると多くの若者達で溢れかえっていたことを覚えている。当時サーフィンは、女子にモテるための必須アイテムだったのだ(笑)。 始めてサーフィンをしたのは伊勢の国府浜。友人に譲ってもら

2拠点生活のススメ|第4回|散歩で街を知り、サーフィンで人を知る

徳島の街を歩いていて、感じることもともと旅に出ても観光地より、普段着の街を観察して歩くのが好きだ。スーパーに買い物に行くときも、いろいろ道を変えて歩いてみたりする。徳島市内はほとんど坂が無く、川も多いので、歩いていても苦にならず変化があって楽しい。どういう訳だか、建築デザイナーが趣向を凝らした家が多く、ついつい立ち止まってジロジロと見てしまう。暮らしにこだわりが強い地域なのか、ポストに入るチラシもほとんどが住宅関係のものだ。それも建築家主体の家が多く、チラシのデザインも洒落て

2拠点生活のススメ|第3回|お金の話。浪費ではなく、実は投資なんだ

あくまで仮の住まい、最初から無理はしない余裕があって始めた2拠点生活では無かったので、初期費用はなるべく抑えたい。敷金礼金が掛からず、駐車場付き、風呂トイレ別、ウォシュレットやエアコン・ガスコンロなどの必需品も最初から装備している物件を探した。都心ではなかなか見つからないが、地方都市であればこのくらいの条件はカンタンにクリアできる。 私が見つけた物件は海から近く、4階建ての小ぶりなマンションの3階。L字に2面バルコニーがあり、吉野川が目の前という立地。しかも夏には目の前で花

2拠点生活のススメ|第2回|都道府県魅力度ランキング46位の徳島県を選んだ理由

まず「これなら実現できる」という条件を書き出してみた第一条件は何といっても、1年を通してサーフィンが楽しめる海があること。そして、入退院を繰り返していた母の介護や仕事の緊急対応を考え、車での移動時間ができるだけ短くて済むこと。免許を持っていない妻が一人でもカンタンに通える公共交通機関があること。近くに銭湯やスーパー、コインランドリー、そして気軽に通える美味しい飲食店があること。できれば窓からは海や自然を感じる風景を眺めて暮らしたいが、できるだけ費用は抑えたい。こうして並べると

2拠点生活のススメ|第1回|シェルターを作る。50代にして、2拠点を始めた本当の理由

いつかは海のそばで暮らしたい 〜20代これはサーフィンに目覚めた二十歳の頃からの夢でした。バックパッカーとしてインドやネパールを放浪したり、北海道で酪農したり、海から離れる時期もありましたが、生きていく上での「ものさし」のようなものが20代に芽生え、その夢は人生の中でとても大切なモノとして、改めて位置づけられました。  30代〜40代  映像業界で働き始め、フリーランスとして独立してからは、暮らしの中心が仕事になり、海へ行くのも年に数回。それでもサーフィンはココロの垢を落と