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2拠点生活のススメ|第7回|そして再びサーフィンライフが始まった

サーフィンを始めた80年代は、サーフカルチャー全盛期

当時は、丘サーファーなんて言葉もあったぐらいで、単にスポーツとしてだけで無く、ファッションやライフスタイルなどサーフカルチャーというひとつの文化を生み出していた。大阪みなみのアメリカ村には、西海岸のサーフカルチャーを取り入れたお店が林立し、週末ともなると多くの若者達で溢れかえっていたことを覚えている。当時サーフィンは、女子にモテるための必須アイテムだったのだ(笑)。

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始めてサーフィンをしたのは伊勢の国府浜。友人に譲ってもらったライトニングボルトのシングルフィンで、とにかく波に揉まれまくっていた。当時はサーフィンスクールなんてのも無かったので、すべてが手探り。もちろんYOUTUBEなんてのも無く、サーフィン雑誌の分解写真をお手本に自己流丸出しでサーフィンを覚えていった。女の子にモテたい、どこかでそんな気持ちもあり、何度揉まれても粘り強く海に通ううち、少しずつ波を走れるようになっていった。

後になって気づいたのだが、女の子との出会いは海では無く街中にあり、モテるのは丘サーファーの方だった。モテたいと始めたサーフィンも、のめり込むほどに、そんな動機はどうでも良くなっていった。


サーフィンに明け暮れた学生時代

晴れて大学生になって、免許と中古の車を手に入れ、サーフィン中心の暮らしが始まった。当時は波情報なんて無かったので、馴染みの民宿のオヤジに電話したり、新聞の天気図を見ながら友人と何処へ行くかを揉める日々。新幹線の高架補修や電柱を立てる仕事など、出勤日の融通が利き、高収入な日雇いバイトに精を出し、伊勢や四国、さらには宮崎と何時間もかけて海へと通った。

あるとき、他の大学の友人から関西学生サーフィン選手権という大会の存在を知る。出場資格は、各大学5名以上が所属するクラブであること。私が通う大学にはサーフィンのクラブが無かったので、とにかくサーフィンしてそうな奴に片っ端から声を掛けることにした。サーファーの知り合いは、大概サーファーという感じで、あっという間に20名ほどのメンバーが集まったのはいいが、言いだしっぺの私がキャプテンを仰せつかり、あまりの実力との乖離に逃げ出したくなったことを覚えている。それでもそこから卒業するまでの3年間、春休みは宮崎合宿、夏休みには高知合宿を行い、3回生の春に、総合優勝するという快挙を成し遂げることができた。

しかし卒業して、働き始めると一転してサーフィンライフは崩れ去る。週末に海に行っても、少しだけ海に入って、あとは温泉とグルメでストレスを解消する。サーフィンをする体力や筋力もみるみる失って、頭のイメージにカラダがついていかなくなり、どんどん海が遠のいてしまった。


2拠点生活で復活したサーフィンライフ

皆さんは、理屈なしに自分のココロが喜ぶことって、何だか知っていますか?

そう言われると、すぐに答えが出てこないという人もいらっしゃるのではないでしょうか。私も同じ、それに気づくのに30年近くの歳月が掛かってしまいました。波があっても無くても、圧倒的に広がる空と海を五感で感じると、ココロが自然と喜んでいることを実感する。その気持ちだけは、若い頃からずっと変わっていないことに気が付いたのです。2拠点生活が始まって、日々海に漕ぎ出すと、その思いは一層強くなっていきました。

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まず取り組んだのは、新規一転、今の体型、今の実力に合うボードをつくること。サーフボードも進化をしており、浮力があってテイクオフが早い、しかもそこそこ動く、そんなオヤジ向けボードがいっぱいあることを知りました。年を取って時間に余裕ができた大人が再びサーフィンを始めるというケースも増えているようで、海に入っていると同年代のおじさん達の多いこと。

多くのおじさん達が乗るロングボードは、若い女の子たちにも人気があるようで、アウトで波待ちするおじさんと若い女の子が楽しそうに話をしているシーンもよく見かける。80年代のサーフブームには無かった和やかな光景に胸を打たれたりもしています。しかし年配のサーファーや女性サーファーがこんなにいるとは・・・サーフィンがただのブームでは無く、文化として徳島の人の暮らしにしっかり根付いる証拠なんですね。


 Gerry Lopez が教えてくれたこと

体力や筋力も徐々に戻ってきて、テイクオフもしっかりできるようになったのはいいけど、なかなか思うように波を乗り継いでいけないジレンマを抱えるようになりました。頭の中のイメージでは、若い頃のようにアップスダウンでドンドン加速しているはずなのに、実際は失速して波に置いて行かれてしまう、そんな日々が続いたある日のこと、ふとしたキッカケで、伝説のサーファー・ジェリーロペスの言葉に出会います。

「逆らうのではなく、従うのでもなく、波のするようにすればいい。サーフィンと生きることはよく似ている」by Gerry Lopez

サーフィンという行為は自分主体ではなく、波という相手があって始めてできること。だから自分本位では、いつまで経っても上手くいかないし、自我を消し、波の都合にすべてを委ねて同調するしかない。それまでの自分は、頭のイメージが先行して、相手の波はお構いなし、それでは上手くいくものもいかない。なるほど、そういうことか。サーフィンを続けている方には、笑われそうな初歩の初歩でしょうが、改めて自然と同調することの大切さを思い出しました。

今は、ただ海に入るのでは無く、手を着く位置だったり、膝の動きだったり、何かしらの課題を持って、入るようになり、改めてサーフィンを学び直しています。自分本意では無く、あるがままを受け入れる。これはサーフィンだけで無く、日々の暮らしにおいても重要なテーマとなりました。

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