長い文脈と短い文字列
過去の出来事を言葉にして並べる時間よりも、実際の過去の出来事の時間の方が長い。
言葉にするということは切り取り編集をするということ。その出来事を切り取って、切り取って、切り取って、最後には一言になって終わってしまったとする。
「つらい」
そんな言葉が誰かの口から出てくる。けれどその人は本当につらかったのでしょうか? きっとつらかったとは思うのだけれど、その「つらかった」という短い言葉にして理解できるものなのでしょうか。
友達から嫌われるつらさ。家族がいなくなるつらさ。恋人にふられるつらさ。勉強がうまくいかないつらさ。全て、違うつらさ。
教室の隅でうずくまるその子の肩は震えているけれど、表情は見えない。言葉も、最初に言った「つらい」以外の言葉を言わない。
その子の「つらい」を、私は分からない。この一言には、一体どれほど長い文脈があるのだろう?
ありふれた言葉に変換されてしまった時、私たちはその言葉の意味で理解したと思ってしまうけれど、きっとそれは誤解なのだと思う。
そばにいて、その人の生きた時間を。
生きているだけでいいや。